水の都の物語

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イタリア! イタリア?
 

その後のヴェネツィア王国

ガリレオの不吉な予言は、ある程度的中し、ある程度外れました。
十七世紀中頃に、ヴェネツィア王国では無能な(そしてしばしば白痴だと噂された)ジョバンニ二世が即位します。ジョバンニは、十七世紀後半に急速に国力を伸張させて神聖ローマ皇帝となったフランス国王と仲違いし、選帝侯の地位を退位させられます。プロテスタントのヴェネツィア王国はカトリック勢が多数を占めるようになったヨーロッパで孤立し、伝統的に神聖ローマ帝国の版図内にあったテッラ・フェルマ(本土)の属領をすべて神聖ローマ帝国と縁を切らせました。これは神聖ローマ帝国の威信の失墜につながりましたが、それ以上に、ヴェネツィア王国の国力の衰えを招くことにもなりました。

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何たる不運! おお、神よ!
 
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ジョバンニは三十年にわたってヴェネツィアを統治。晩年は発狂した。
 

すでに中世において盛んだった地中海貿易は、ポルトガルが開拓した新大陸の黄金取引とインド洋での胡椒貿易に取って代わられ、この頃にはほとんど省みられなくなっていました。
そして取引量そのものが少なくなった貿易圏自体も、東地中海ではマムルーク朝エジプトが、西地中海ではアラゴンとフランスが、それぞれヴェネツィアの縄張りを侵してきて、地中海貿易全体に占めるヴェネツィア商人の取引量はひどくわずかなものにしかなりませんでした。ヴェネツィア商人は地中海貿易のみに自らの活動を限定せず、アントウェルペン、イストフランス、リューベック、ノヴゴロドなどの市場に出て行き、活動を継続しましたが、彼らの多くは、ヴェネツィア市民権を捨てて、それぞれの国家の市民となっていきました。地中海の女王といわれたヴェネツィア王国の国力の衰退は、もはや避けられないものだったのです。

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発狂したジョバンニに対して、皇帝は選帝侯からの退位を勧告する
 
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ヴェネツィアは斜陽の時代を迎える
 

斜陽の十七世紀が過ぎ去り、十八世紀になっても、一見、ヴェネツィア王国の前途は暗いものでした。
敵対する神聖ローマ帝国はまだまだ中央ヨーロッパに君臨しており、諸侯を威圧していました。東方のマムルーク帝国は広大なムスリムたちを束ね、キリスト教世界に数世紀にわたって対峙し続けています。

十八世紀の国民革命のなかで、ポルトガルの世界帝国は崩壊し、新大陸ではメキシコやハイチ、ベネズエラやチリ、アルゼンチンといった国民国家が台頭してきました。
これらの諸国家は、その急進的な行動によって革命思想をヨーロッパに逆輸入します。
十八世紀の後半期、ヨーロッパに啓蒙思想の波が襲いました。
フランスではこうした啓蒙主義者によって百科全書が編纂され、ブルゴーニュでは啓蒙専制君主が君臨するようになります。

ヴェネツィア王国にも革命の波は押し寄せます。

無名のルッソー主義者が、ヴェネツィア王国の陸軍士官となり、彼らの言うところの理性の実現のためにイタリア統一戦争を起こしました。フェラーラ、モデナ、マントヴァ、ロマーニャ、アンコーナ、フィレンツェ、ピサ、シエナ、そしてローマがヴェネツィア軍によって攻撃され、このうちのいくつかの都市がヴェネツィアによって占領されました。ローマ征服を果たした陸軍士官は、ローマで教皇を追放し、ヴェネツィアに戻って国王もまた追放して、宗教と迷信を滅ぼして自分たちこそが理性崇拝に基づく近代国家を建設するのだと叫びました。イタリア王国の誕生です。

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十八世紀、ヴェネツィアはイタリア遠征を敢行し、イタリア王国となった
 

このイタリア王国がどのように十九世紀を駆け抜け、どのような二十世紀を迎えるのかといったことは、また別の話になります。


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Last-modified: 2009-08-25 (火) 10:33:44