なんだ帝国主義じゃないか

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18世紀初頭のハンザ

17世紀末~18世紀初頭の概況

帝国を消滅させ、オーストリアをドイツ文化圏からほぼ駆逐したドイツハンザは、押しも押されぬ大国となっていた。(余談だが、オーストリアは後にハプスブルク朝エジプトとしてドイツハンザと再び相まみえることになる。)肝心の商売のほうも、ポルトガルを除くイベリア半島からアイルランド、イギリス、フランスの4分の3、イタリアの北半分、バルト海沿岸一帯インゲルマンランドまでがドイツハンザの通商同盟に入った。

1708年にスウェーデンがヘルシングランドに交易中心地を設置して以来、経済戦争の焦点はバルト海にあった。イギリスがインメルマンランド周辺の沿岸プロヴィンスを取得して、一層の混迷をきたすかに思えた。その結果当然のように発生した「第2次イギリス交易戦争」(1724~25)の結果イギリス勢力をバルト海から一掃したわけだが、ドイツハンザはロシア王国と国境を接することになった。

1731年にはゴッドランドをスウェーデンから独立させリガを属国化したことによって、ドイツハンザ
加盟国インゲルマンランドへ陸路で軍が移動できるようになった。バルト海南岸の制覇であった。これでノブゴロドの同盟復帰に王手である。
しかし、ボヘミアの影響圏が失われ、かの国が強大化しつつあるとの報告を受けた。ドイツハンザにとって少々危険な状態ではある。果実をとるために持ちあげた腕がバルト海南岸の回廊であるなら、後ポンメルンはわきの下であり、ボヘミアはそのわきに鼻を突っ込んでくる犬であった。戦って負けるとは思えないが、わきをなめられては腕を下げざるを得ない。

遷都(1735)

西はアンダルシアから東はインメルマンランド、スウェーデンからローマまで拡大したドイツハンザは、その交易同盟の維持のために戦争を繰り返した。ドイツハンザの連邦内のみならず西ヨーロッパ全体に暴動の嵐を引き起こし、フランス、イベリア、イギリスは分裂し群雄割拠と暴動によって乱れ、国は失われつつあった。自らの権益維持のために戦争を繰り返したドイツハンザも200年ぶりの混乱の極みにあった。
連邦の安定維持が極めて困難なのは、まさに己の欲求を満たすために繰り返した戦争に起因するのだが、ドイツハンザは首都から辺境州までの距離を短くすることによって威令を行き渡らせようと、遷都を実行した。
新首都はニュルンベルク。フランケン州の州都で交易中心地のないプロヴィンスのなかでは随一の人口と生産力を誇る製糖とワインの街である。
ニュルンベルクは現在の連邦に対角線を引いたときに交差する位置にあるいくつかの州のうちのひとつで、その中で最も栄えている街であった。

遷都によって国内には大混乱が発生した。ある程度の混乱は連邦首脳も予想してはいたのだが、遷都から2ヶ月後の突然のロシアの宣戦布告によって予想していた混乱を上回ったのだった。
ロシアとの戦争に乗じて、クリミアとスウェーデンが通商同盟を離脱。ロシア単独だったのでプロヴィンスを4つ占領して和平に持ち込む。そのなかにノブゴロドが入っていたのが、ドイツハンザ首脳の欲望を止められなくした。
ロシアとは数カ月で講和し、スウェーデンに対しては同盟離脱を認めるわけにはいかずに宣戦布告。すると、ポルトガルとロシアが休戦協定を無視して宣戦してきた。
一刻も早く有利な条件で講和を結ぶべく突撃占領を繰り返すドイツハンザ軍。しかし、本土ががら空きになった隙に、ボヘミアが宣戦、オルレアンも呼応し東西から挟撃の危機に陥った。。スウェーデン、ポルトガルを1736年中に、ロシアを翌37年1月に和平のテーブルに着かせて、ボヘミア・オルレアン連合軍との勝負に専念することに成功したとおもえたのだが、37年4月、ブルターニュが宣戦布告。
ブルターニュと和睦したかと思うと次はアラゴンとポルトガルが宣戦。フランス革命後の介入戦争とかロシア革命後のシベリア出兵もこんなだったのだろうか。

外交官が尽きてしまって講和が遅れたが、1738年3月にワラキア、モルダヴィア、マゾヴィアを独立させてボヘミアと講和した。

1739年、遷都以来の戦争が終わってみると、つかの間ではあるのだろうけれど、世界の3分の1はドイツハンザの通商同盟となっていた。

9月、ナポリが宣戦。国内は大混乱であった。300年前と同じ手法で逆らう者は属国にするか併合という乱暴な処理を続けたつけか、悪評は100を超えていた。

ドイツハンザでは1740年頃からバロック音楽が大流行した。1740年というからアントニオ・ヴィヴァルディとかフリードリヒ・ヘンデル、あるいはヨハン・セバスティアン・バッハか。ヘンデルはイギリスにいたころだし、天に召される前年のヴィヴァルディではなく、ここは「音楽の父」大バッハか。音楽は人の心を豊かにする。大バッハの音楽は、連邦政府の失政による国内の大混乱と連綿と続く戦争に疲れた民衆の心を癒したのだった。

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音楽の父 J.S.バッハ

世界の金はドイツハンザのもの

バロック音楽のおかげか、久しぶりの朗報が小フーガに乗って届いた。連邦は「通貨の回復」に成功しインフレが6%を切ったことだ。ただし、次の思し召しは「イギリスを叩き潰す」であった。ヘンデルをイギリスから連れもどすということか。

1761年6月現在、ドイツハンザが所有する交易中心地は、リューベック、リグーリア、ヴェネツィア、イル・ド・フランス、アンダルシア、ノヴゴロド、アレクサンドリア、アントウェルペン、ウィーン、ダンツィヒ、エルザス、チロル、ダルマチア、シエナの14拠点である。
ここに各6づつの商人が店を出しているわけだが、商人の椅子が280ありそのうちの84をドイツハンザが占めているわけだ。30%のシェアは悪くないどころか素晴らしいものだ。だがしかしである。196も他国に椅子を用意してやる必要はないのではないか?極端な話、交易中心地をリューベック以外全部つぶしてしまえば椅子は14になり、入れないところは西欧では交易ができないということになる。もちろん、通商同盟から離脱した国は交易中心地を自前で用意できるわけだが、それはドイツハンザの圧倒的な武力(2位~6位までの兵力を合計しても同等、陸軍レベルはドイツハンザ51に対し40台は全て属国、兵力2位の満州:16、3位のロシア:31、4位のオスマン:32、5位のカスティーリャ:32、6位のペルシャ:21、7位のイギリス:32)をもってすれば交易中心地を作った先から滅ぼしていくことも可能だ。

チロル、エルザス、ウィーン、イル・ド・フランスの4拠点は内陸であるので(入植者増加のボーナスが無いので)まず整理することにする。ダンチヒ、ダルマチア、シエナもいらない。ランドックとリーグーリアのどちらを残すか。いっそヴェネティアを破壊してダルマチアをバルカンの拠点とする手もあるが・・・。
あかん、利益が多くて交易中心地を消せない。もっと早く気が付いていれば・・・

やはり武力による商圏の拡大しかないのか。
1761年現在、西欧のほぼすべてを統べるドイツハンザにとって、次の選択肢は多くない。このまま欧州の帝国主義の嵐を中東へ持ち込むか、イギリス、フランス、カスティーリャにとどめを刺し新大陸を欧州に居ながらにして制覇するかである。

1786年新大陸への第一歩を記す。とはいってもカスティーリャとの戦争で攻め入ったのではあるが。折角なので新大陸の争いにも一枚かみたいと思い、賠償でバイアを得た。
欧州から逃げ落ちたイギリス、フランス、カスティーリャにとってはさぞかし嫌な事件であったことだろう。しかし残り40年ないくらいなので中核化はない。

1795年、ドイツハンザは「革命と反革命」を取得。資本主義もしくは金権主義と後に呼ばれることになるイデオロギーを世界中に輸出していくことになった。
世界中の植民地を奪う戦争を続けていくイデオロギー的保障、ドイツハンザ的には法的根拠である。
同年10月11日、イギリスと5年ぶりに講和。南米のイギリス植民地をすべて奪い、メキシコとコロンビアと中央アメリカ連邦とかいう国と、もちろんアメリカ合衆国を独立させた。しかし、コロンビアはどこに?ありそうなところはドイツハンザの領土になっているはずだ。

なんだ、帝国主義じゃないか

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19世紀初頭のハンザ

キリスト生誕1800年を前後して、ドイツハンザは新大陸で大拡張をしていた。
500を超える悪評は新大陸でイギリスから独立させたアメリカ、メキシコ、中米連邦を数年で敵性国家に変え、彼らはスコットランドと手を組みドイツハンザに戦争を仕掛けた。
メキシコによる懲罰戦争の間にいくつかのヨーロッパの国が宣戦し消えていった。そして、新大陸ではメキシコ、中米連邦、インカが大きく領土を失った。

入植は一度も行っていないのに植民地は肥大化していく。しかし、2位のカスティーリャの五倍の収入をもつドイツハンザに植民地の維持費は気にならなかった。沿岸交易中心地18をもつパワーで次々に追加された入植者は植民地の同化につぎ込まれた。

1806年3月、ドイツハンザの東部国境に集結した30万の軍がロシア、クリミア、フィンランドへ侵入した。
宣戦布告の理由は、イデオロギーの違い。いわゆる「金権主義の輸出」であった。
11月の「カザンの戦い」で一敗地にまみれたが、翌年2月の講和で、フィンランド、ノルウェーは連邦の忠実な加盟国となり、クリミアも国土の大部分を失い、ロシアは崩壊した。

1807年9月、ロシアから軍を南に転じたドイツハンザ軍はオスマン帝国に宣戦。この戦いでペルシャ湾南岸まで攻め込んだのだが、講和で得たのはギリシャ(6プロヴィンス)のみであった。

陸軍の扶養限界が1039となっていた。限界いっぱいまで連隊を編成し、次はカスティーリャに世界帝国の座から降りていただく。

いつの間にか「通商同盟を結ばせる=戦争して条約を押しつけて自らの商圏に取り込む」ということになっている。
ようはつまり、なんだ、帝国主義じゃないか

1814年、ドイツハンザ百万の軍は圧倒的勝利をおさめ、全世界のカスティーリャ領を占領した。しかし、外交官がちっとも追加されない。マジでパッチあててほしい。神聖ローマ帝国は滅んだのだから帝国統治院と帝位世襲制のペナルティがいまだに適用されているのはなんとかしてほしい。

11月、とにもかくにも外交官不足で戦争が長引く。南米のほぼすべてを手に入れ、カスティーリャとはここで講和することができたが、占領地を外交官待ちで1年近く維持し続けるのに疲れてしまった。

あと6年やれば、ロシアを征服しオスマンを滅ぼし、インドやウラル山脈を越えて中央アジアへ勢力を伸ばすことも可能だろうが、このままハンザでプレイする意味を見いだせなくなって久しく、外交官の追加間隔が神聖ローマ帝国時代とおなじペナルティを受け続けているのに疲れ、著しくモチベーションが下がってきたので投了とした。

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1814年のハンザ

あとがき

重商共和制という政体は、戦争に向いていたといえる。むしろ他の政体よりも戦争向きである。敵対国と戦争をして賠償で通商同盟に入れ、通商同盟を相手から破棄させることによって、大義名分を手に入れることができる。これは領土を拡張するのに有利であるし、領土を拡張しているのなら悪評が高く、相手から破棄され安いので、敵対国を追い詰めるのにはとても有効である。帝国主義という政体をとるよりもよっぽど帝国主義的なプレイが可能な政体である。もっとも、重商主義に武力を付加したものが帝国主義であって、帝国主義とは戦争が経済行為だった時代のイデオロギーである。このゲームで言う「帝国主義の導入」というのは、「帝政への移行」を意味するものなのかもしれない。原語でプレイしたことが無いので誤訳かどうかは分からないが、「帝国主義の導入」が共和制では出現すらしないのであるから、専制から帝政への移行と考えたほうが妥当かと思う。独裁共和制をとると、帝国主義を大義名分にできるのであるから、やはり「帝国主義の導入」は「帝政への移行」なのだと思ってしまう。

閑話休題

今回プレイしたハンザ同盟の場合、ヴェネチアやジェノヴァのように周辺を全て神聖ローマ帝国所属国に囲まれていたり、大国と隣り合わせではないので、序盤に帝国に属していないデンマークとホルシュタインを併呑することができれば、比較的楽に北ドイツを制圧できよう。海外領地は序盤は重荷になるだけであるが、それが無いのも幸いである。

オーストリア、ブルゴーニュと境を接するのをさけつつ拡張を続けるには、オーストリア、ブルゴーニュに接する周辺国を属国として緩衝地帯としつつ属国の同盟軍をうまく使うと良い。主力は傭兵を使って集中使用し、敵の主力を撃破することに専念し、属国の軍隊で占領させるのも手だ。20000の兵力を1ユニットにできれば、序盤のレベル1防御施設ならば容易に突撃で陥落できるので、素早く占領するには主力を使うのもよいだろう。また、神聖ローマ帝国のシステムも序盤の拡張には有効である。先にあげたデンマーク、ホルシュタインは帝国に属していないので、神の思し召し通りにエーレスンドの通行税を無効にしよう。史実でも2回戦争して2度とも勝利しているのだから、恐れることはない。

今回実は皇帝になりたかったのだが、選帝侯を属国にして友好度200にしても一切投票してくれなかった。最後は皇帝を滅ぼしてもダメ。重商共和制をとっていては皇帝にはなれないのいかもしれない。しかし、ハンザは北ドイツを掌握することによって、ドイツに変身できるので、これもまたヴェネチア、ジェノヴァに比べるとはるかに有利である。今回のようにフランス、スペインに先駆けてドイツ建国がかなえば、欧州制覇も可能であった。
前出しているが、神聖ローマ帝国構成国が、すでに帝位が世襲制になっている状態で帝国を滅ぼす場合、完全に帝国を離脱してからでないと、
①帝国構成員に征服されても帝位の移譲はない。帝国が消滅しただけである。
②帝国は滅亡しても帝国統治院と帝位世襲制の外交官-1.0のペナルティは残ってしまう。
③帝国が滅亡しても元構成国に宣戦布告するときに、『△×は帝国の一部です。△×は「反乱軍マーク」によって守られています。』とでます。
のでご注意あられたし。
代理店、メーカーの方へ重ねてお願いするが、①はともかく②③は明らかにおかしいので早急に対応していただけたら幸いです。大変面白いゲームなのに残念。画竜点睛を欠く、かな。

最後に、長々と書き連ねたにもかかわらず、ここまでお付き合いいただいた貴方に厚く御礼申し上げるとともに、もしよろしかったら次回のAARもよろしくお願いいたします。

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Last-modified: 2010-05-15 (土) 16:41:20