帝国国策方針 †
Httt西欧化条件(まずは中国→イスラム教技術グループ)
サハリン、クリル、台湾など可視範囲にある空白地への入植は進めるが、入植者の供給源は沿岸部の交易中心地による年+0.1効果のみ。よって入植は遅々とした歩みである。 後小松 1382-1407の時代 †1399年、私は22歳の後小松天皇になっていた。いわゆる転生である。元々、この体に宿っていた魂がどこに行ったのかは、考えると負けな気がするので考えないこととする。ちなみに、私は歴代第100代の天皇だ。 ゲーム開始直後に始めるのは沖縄侵攻である。明が沖縄の独立保障をする前に宣戦、占領後併合した。 後小松 1382-1407の時代 †1400年 沖縄の異教徒たちが真の信仰に改宗しました。 史実では1433年に崩御した後小松だったが、この世界では1407年、30代になったばかりで流行り病にかかって私は二度目の死を迎えた。 摂政評議会 1407-1419の時代 †サハリン獲得。 称光1世 1419-1475年の時代 †1419年、私は元服したばかりの称光1世に転生していた。 1420年、ついに一個目のナショナル・イデア「植民地探検」を獲得。もはや入植者不足は過去のものとなった。内政は優秀な★5クラスのアドバイザーを雇用して順調である。安定度は+3、積み上げた財貨は998ダカットに達している。 1424年、のちの間宮海峡を哨戒していたわが国のガレー船は大陸北方にデレンを発見した。直ちに入植はしない。まずは台湾-スールーの順に入植し、かの地の中核州化を急ぐ。 1419年 クリル獲得。 「国の焦点」の補正効果、植民地成長速度+50%を活用し、最低限のコストで植民地を次々と建設していった。 1451年 デレン獲得。 ![]() 1473年の日本の雄姿をみよ。 シベリアの日本領も次第に見栄えのする面積を獲得している。国境を接する満州は脅威を感じているようだが、我々に対してアクションは起こしていない。どうかこのままこっちを見ないでね。そして明は、たったの37個連隊しか擁しないわが国のか弱い細腕が目障りらしい。ああ、かの大国に相応しい雅量はどこにいったのでしょう? 貿易摩擦を理由に日本商人をCoTから排除とかひどいじゃないですか。眠れる獅子は寝ていてくださいおねがいします。 インド亜大陸はデカンが統一、北米ではチェロキーが巨大化していた。この世界ではプランタジネット朝が元気いっぱいらしく、フランスのイングランド領は健在である。カスティーリャはモロッコ、アルジェ、マムルーク朝を駆逐し北アフリカ一帯を領土としている。他人事ながら、カスティーリャによるムスリムのマネジメントが心配である。 50年前に入植したクリルはわが国の中核州となった。サハリンにシベリア、台湾を手中に収め、わが国の威容は完全に二次大戦前の日本を越えた。だがまだだ。俺たちの戦いはこれからだ! と、調査兵団式に握りしめた拳を胸に叩きつけた瞬間、私の世界は暗転して三度目の人生が終了した。 ちなみに理由は知らないがセーブ&ロードが少ないと、君主もアドバイザーも長生きになる傾向がある。称光1世の長寿の秘訣である。 崇神 1475-1495年の時代 †1479年 アルバジンスキー、ウズコエ獲得。 順調に北方領土拡大中。 称光 1495年- †1498年 ジュクジュル獲得。 カスティーリャはポルトガルを併合し、アゾレス諸島の所有権も移動した。これでアゾレス諸島のカスティーリャ中核州化が遅れ、彼らの北米大陸進出も遅れるとみられる。 1517年、交易レベル7、統治レベル9に到達。新しいナショナル・イデア、つまり国策スロットを獲得する条件が整った。交易レベル7は、国策「新世界の探索」の入手条件である。これで征服者や探検家を世界中に派遣し、思うがままに土地を手に入れることができる。
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