厭戦まみれのフランスにラッキーなイベント。
イエメンには中核プロヴィンスをいっぱい手放してもらおう。
そして当事者オスマンからは、こちらの中核がある1領いただく。
6年流れて1660年9月
さらに3年後 糞王死去 †1664年3月 ヌフヴィル朝初代、フランソワ1世=ド・ヌフヴィル死亡。
二代目フランソワ1世はそこそこ有能。現在35歳。
と、思ったら翌年生まれた。
初代がダメだっただけに、このくらいでもありがたい感がする。 ただ、今回もカスティーリャの継承なし、むー。 1667年7月、悪評0.0、キプロス侵攻 †
ようやく全部の植民地が都市化したので、異端の生き残りを潰していく。
スイスがついてくるのは予定通り、属国化してやろうと思ったら 小賢しい手を使いやがる・・・ スイスは毎回、しょっちゅう密偵を回してくるムカツク奴という印象が・・・ 1570年7月、悪評0.3、アクイレイア侵攻 †で、次の相手はドイツの小国ではなく、またもアクイレイアである。
と、いうのも、これらを征服した上で、属国クロアチアを併合すれば、 それが果たされれば、関税収入でなくて、本土の生産収入扱いになるのである。 これまでは、クロアチアが異端に改宗したせいで手が出せなかったが、
皇帝のハノーヴァー、バーデン、チューリンゲンが敵に回るが、 アクイレイアはアイルランド4領と、サルデーニャ島も所有しているので
アイルランドの橋頭堡を確保、計6領を割譲させて和平。
そして1671年、クロアチアを併合し、北部バルカンルートが開通したのであった。
一方その頃、異端の改宗中で入植できないので、キプチャク・ハン国を滅亡させる。 やっぱ代替わりしてから、いろいろ順調な気がする・・・ 続く |