カトリックじゃなくても…。 カトリックじゃないから…。私は、嫌いです。
 

状況確認

 
 
周辺状況
 
map2.png

北イタリアの国は全て属国なので事実上イタリア統一は完了している。
次の目標だが、例の神聖ローマ帝国イベントにより帝国諸侯は狙い難いし、何よりオーストリアが蓋をしている。
オーストリアには中核州が1州しかないので攻めても美味しくなさそうだ。
いずれ決着を付けなければならないが、兵も多く現状はしんどい相手である。
そうなると南か東に絞られる。北アフリカも美味しくないのでオスマン領を狙うことにする。


 
国内状況
 
月の収入48.5D
BBR8.03
陸軍(LV5)騎兵2000、歩兵16000
海軍(LV2)ガレー6隻
 

ヴェネツア領を吸収したことで収入は一気に増えた。
BBRはヴェネツィア、ラグーザの併合もあって、やや高めだが一年で1.5ぐらい減るので問題ない。
内政スタイダはひたすら陸軍主義に寄せ続けている。
政治体制Papacyは10年に一度スライダを動かせるのでハイペースで調整が進み嬉しい。
また、ランダムイベントにより地方分権MAXになった。
HRPで追加された生産、貿易、技術開発へのペナルティがちと痛いが宗教寛容度+1は役に立つので気にしないでおく。
2つ目のナショナルアイデアはBattlefield Commissions(戦場任務)を選択した。優秀な将軍は至宝であります。

貢ぐ者

少し前からオーストリアのスパイ攻勢が酷い。
連中はEspionage(諜報活動)のナショナルアイデア(HRPは年間スパイ+2、スパイ効果+15%、スパイ防御+15%)
を持っているため、ガンガン送り込んでくる。
特に反乱扇動(HRPでは効果が10%にUP)がウザイことこの上なく、こちらはナショナリズムが残っている州が多いため、
7~8%ぐらいまで反乱発生率を上げられてしまう。
オスマンもちょくちょく送ってくるが、連中に比べればマシな方である。

友好度が-200なのが原因と思われるので、ここは下手に出ておく。オスマンとの戦争中に背中刺されても困るし。
外交資金調達のため収入をしばらく国庫に入れ、惜しみなく金をバラまく。
2度の戦争でアラゴンとも関係が悪化しているのでこちらにも。
インフレについては、HRPで財務顧問に税収UPとインフレ減の能力が追加されているので、あまり気にする必要はない。
また、併合に備えて属国との友好度も上げておく。が、まだ「併合できそう」マークはでないようだ。

ダルマチアで反乱が起きたが、通行許可を与えていたハンガリー軍が颯爽とやってきて鎮圧してくれた。カコイイ!!

1490年
友好度の上がりがいいので、試しに3つの属国に併合を持ちかけてみたところ、モデナが同意。
8月3日、モデナを外交併合。

オーストリア、アラゴンとも友好度50になったあたりで活動終了。
目に見えてスパイの頻度が減った。やっと一息つけそうである。

と、ここでヨーロッパの様子を見渡してみたのだが…

cas.png
カスティーリャ、死亡確認。

アラゴン、イングランド、モロッコに分割された模様。まるでポーランドである。

アルバニアではよくあること

1491年
12月2日、BBRも0に近くなったのでアルバニアに宣戦布告してみる。

 
 
albania.jpg

       パーン
 ( ‘д‘)
  ⊂彡☆))Д´)

すいません、すいません。だってアルバニアっていうとコレとネズミ講しか思い浮かばん……うちイタリアだし。
ともかく、アルバニア、アテネ、騎士団 vs 教皇領
なんという弱小連合…この同盟は間違いなく無意味。

1494年
2月22日、属国化+賠償金50でアテネと講和。
3月8日、属国化+賠償金50でアルバニアと同盟主講和。戦争終結。
アルバニア軍は…いませんでした…(遠い目)

対オスマン戦に備えて、さらに軍備を増強する。騎兵3000歩兵4000を追加。
これで5000の騎兵部隊を運用できるようになった。突破戦力として活躍してもらおう。

1495年
1月23日、余興も終わったのでオスマン帝国に対して宣戦を布告。オスマン帝国、カラマン、ワラキア vs 教皇領
オスマン艦隊が怖いので(こればっかりですが)、ダルマチア、ラグーザに部隊を集結しZeta→セルビアと突破していく。

1496年
8月12日、Urbanus VIIが死去。後任はClemens VII。内政8外交5軍事5。

うーん、予想以上にオスマンは弱い。
騎兵3000歩兵2000の主力がCorfu島に掛かり切りになっているのもあるが
(でも、これにより4000の部隊が敗退→消滅した…)。
あとは、どの州も要塞LV1なのが大きい。わずか2000で包囲が進行するのは助かる。
LV2ばっかりだった北イタリアとはえらい違いである。

1497年
3月5日、4州割譲でオスマン帝国と同盟主講和。戦争終結。
5月10日、Mantuaを外交併合。トスカーナは拒否し続けてる。

ボスポラスを越えて

1500年
11月2日、オスマン帝国に対して宣戦を布告。オスマン帝国、カラマン、ワラキア vs 教皇領

今回も楽勝かと思われたが、オスマンの主力部隊は白兵6の魔人に率いられており、凶悪に強い。
ウチの将軍も決して無能ではないのでだが、こちらの騎兵部隊5000が殲滅されてしまう(部隊ごと消滅)。
騎兵高いのに…(´;ω;`)ブワッ

1502年
9月1日、Clemens VIIIが死去、Xystus Vが跡を継ぐ。内政4外交6軍事3。

オスマン主力は依然として脅威だが、他は相手にならないので主力には構わず包囲を急ぐ。

1504年
再建した騎兵部隊がハンガリー軍(ウチとは別にオスマンと戦争中)との波状攻撃でオスマン主力を撃破。
が、この頃にはもう多勢は決していた。
2月14日、4州割譲でオスマン帝国と同盟主講和。戦争終結。

map3.png

バルカンの大半を手にしたが、非コア+異宗教+異文化+海外領土(+陸軍主義MAX)なので収入は実に低い(´・ω・)-3

1505年
9月3日、Clemens VIIIが短い治世を終え、Benedictus XIIIが跡を継ぐ。内政5外交7軍事8。
陸軍主義がMAXになったので次は改宗成功率を上げるために保守主義へ寄せていく。

1506年
オスマン帝国に対して宣戦を布告。オスマン帝国、カラマン、ワラキア vs 教皇領
さすがにもう消化試合である。が、海軍がアレなのでボスポラス海峡を渡るのに苦労する。
このとき、オスマンはフランスとも戦っていたので、オスマン艦隊がフランス艦隊と戦闘してる隙にダッシュで渡った。

1508年
10月20日、全土を占領し5州割譲でオスマン帝国と講和。戦争終結。あと2回で終わりそうである。

落日のオスマン帝国

消化試合なのでサクっと。

1512年
3月31日、オスマン帝国に対して宣戦を布告。オスマン帝国、カラマン、ワラキア vs 教皇領

1513年
1月31日、カラマンを併合。これはちょっとやりすぎた、無駄にBBR稼いでしまう。
また、ハンガリーとオスマンが講和し、ワラキアが属国解除された。

1514年
1月17日、2州割譲+属国化でワラキアと講和。ワラキアはいつの間にか騎士団を滅ぼしてロードス島を領有していた。
1月18日、首都以外全割譲でオスマン帝国と講和。戦争終結。いよいよ王手である。

1519年
1月18日、オスマン帝国に対して宣戦を布告。オスマン帝国、グラナダ vs 教皇領
同じイスラム国のグラナダに助けを求めたようだが、もはや手遅れである。
3月1日、Candarに宣戦布告される。Candar、Dulka vs 教皇領
オスマンの様子を見て危機感を抱いたのであろうか。
7月12日、オスマン帝国を併合。4回、24年に渡った戦いもこれで終わる。
10月24日、グラナダと白紙講和。戦争終結。

1521年
3月14日、1州割譲+属国化でDulkaと講和
3月18日、1州割譲+属国化+賠償金50でCandarと講和。戦争終結。

次回予告

オスマン領を手に入れてゴキゲンなBenedictus XIII。
ある日の午後、地図を眺めていたBenedictus XIIIは懐かしい地名を目にする。
エルサレム。今の我々にとって、彼の地はもう手の届かない場所ではないのだ。

 

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Last-modified: 2007-12-27 (木) 11:52:23