併合ボタン押すのをやめてじっと、まぶたに焼きつけています。
 

状況確認

 
 
周辺状況
 
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オーストリア、ハンガリー、ポーランドを飲み込み、かなり大きな領土になってきた。
当面の目標はスパイ作戦による、神聖ローマ帝国諸侯の切り崩しである。
一つ一つは大きくないので今の教皇領なら十分潰していけると思われる。


 
国内状況
 
月の収入221.5D
BBR9.47
陸軍(LV15)騎兵10000、歩兵38000
海軍(LV14)ガレオン2隻、カラベル7隻、ガレー4隻、輸送船3隻
 
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全土が地続きになったことで収入は大幅に改善された。
改宗もイスラム、正教地域は完了しており、プロテスタントの州が若干ある程度である。
BBRは相変わらず高いが、まぁいつも通りではある。二桁にはならないようにしていくつもり。
海軍が地味に増えているが、全て元海賊である。最新の船が手に入るのがありがたい。
ただ、傭兵扱いなので雇用費はちと高いが。

内政スライダは当初の目標であった、陸軍主義MAX、保守主義MAX、防御主義MAXを達成しつつある。
その後は収入を見ながら質重視に寄せていこうと思う。

東方の刺客

1573年
7月8日、ボヘミアに対して宣戦布告。ボヘミア、ポーランド、コルシカ vs 教皇領

1575年
4月30日、ポーランドを属国化。
8月7日、アルザスに対して宣戦布告。アルザス、Wurzburg vs 教皇領

1576年
6月28日、属国化+Wurzburgの属国解除でアルザスと講和。戦争終結。

1577年
1月23日、4州割譲でボヘミアと同盟主講和。戦争終結。
5月27日、Pius IIが死去、Benedictus XIVが後を継ぐ。内政6外交8軍事5。
10月17日、性根の腐ったマムルークが宣戦布告してきた! マムルーク vs 教皇領
これは全く予想外の不意打ちである。
ボヘミアへのスパイ活動をやりすぎてBBRが11にまで上がっていたからだろう。
何にも考えずに中核州工作のボタンを連打してたもんな…
ちなみにアナトリア方面は華麗にノーガードであります(`・ω・´)
相手が相手だけに中途半端な兵力だとやばそうなので、ほぼ全軍でアナトリアへダッシュである。

1578年
12月1日、Benedictus XIVが死去…早すぎだろ、これは…
後任はBenedictus XV。内政3外交5軍事3。能力値もビミョー。

1579年
マムルークは技術的には若干遅れているが数は多く、厳しい消耗戦となった。
長く戦い続けても不毛なので、最寄の2州で手を打つことにする。
12月2日、2州割譲でマムルークと講和。戦争終結。
この2州には野営地を整備し、次の戦いに備える。

この戦いでわかったのだが、マムルークに対しては高確率でスパイ活動が成功する。
というか神聖ローマ帝国諸侯がナショナルアイデアの関係でガードが堅いだけなのだが。
内応工作は90%前後の成功率なのでスパイの集中投入で大幅に包囲期間を短縮することができ、
これはマムルークとの戦いにおいて我々の大きな強みとなろう。

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ついにエルサレムを指呼の間に伺うようになった。

崩れゆく帝国

1582年
10月30日、ボヘミアに対して宣戦布告。ボヘミア vs 教皇領

1583年
9月27日、首都以外の3州を割譲+賠償金125Dでボヘミアと講和。戦争終結。
12月7日、ハンガリーに対して宣戦布告。ハンガリー、ブルゴーニュ vs 教皇領

1584年
5月1日、属国化+賠償金50Dでハンガリーと講和。

1585年
4月28日、ブルゴーニュと白紙講和。戦争終結。

1586年
2月27日、ザクセンに対して宣戦布告。ザクセン、ヘッセン、Palatinate、ポメラニア vs 教皇領
ザクセン以外は全て2州の小国。ちょうど同盟組んでたので、まとめて一掃することにする。
12月18日、属国化+賠償金50DでPalatinateと講和。
12月24日、属国化+賠償金50Dでヘッセンと講和。
どちらも州単価が30%を超えており割譲させることは出来ず…

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豪快に4正面作戦を実施中。

1588年
7月5日、1州割譲+属国化でポメラニアと講和。
7月7日、3州割譲+賠償金50Dでザクセンと講和。戦争終結。
この戦争の結果、神聖ローマ帝国はドイツ北西部を残すのみとなった。

11月27日、チュートン騎士団に対して宣戦布告。チュートン騎士団、ボヘミア vs 教皇領
チュートン騎士団領(の中の旧リトアニア領)には以前に中核州主張イベントにより、
大量の中核州を得ていたので期限が切れる前に回収する。

1589年
6月25日、ボヘミアを属国化。
チュートン騎士団との戦闘は順調に進んでいるが、別に戦争をしているノヴゴロドも一部の州を包囲している。
全土占領に持ち込みたいのでノヴゴロドが講和するまで待つことにする。
ノヴゴロドは一万超えの部隊を2つ送り込んでいる…すごいのォ。

神の御心のままに

1590年
11月2日、待ってる間、暇なのでマムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領

1591年
11月29日、4州割譲でチュートン騎士団と講和。戦争終結。

1592年
相変わらずマムルークは兵が多く苦労したが、なんとかカイロまで到達することに成功。
9月12日、4州割譲でマムルークと講和。戦争終結。そして…

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聖地は我らの手に!

効果が微妙とか言わないように!

北ドイツ平定戦

1596年
1月31日、チュートン騎士団に対して宣戦布告。チュートン騎士団 vs 教皇領

1597年
11月15日、3州割譲でチュートン騎士団と講和。戦争終結。

1598年
神聖ローマ帝国最後の雄となったメクレンブルグに戦いを挑む。
20000前後の部隊が2つ見え、領土の割にずいぶんと兵が多い。
5月23日、メクレンブルグに対して宣戦布告。メクレンブルグ、ザクセン vs 教皇領
敵主力との決戦は危険なので避け、まずは敵州の占領を急ぐ。

1599年
5月15日、ザクセンを併合。
メクレンブルグ主力によって、こちらの2州が落とされた。
が、我々も敵州の占領を完了しつつあり、包囲の終わった部隊を順次集結させていく。
Ver1.2.1では敵部隊は守備兵の回復を待つようになったので、敵主力は待機中のようだ。
最終的に35000を集め、15000程度にまで消耗した敵部隊にぶつけ、蹴散らす。
そのまま、もう一方の敵主力(こちらも15000程度に減っていた)も撃破。

1600年
奪われた2州を奪還し、戦勝点が100%となった。
4月17日、4州割譲でメクレンブルグと講和。戦争終結。
11月10日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領

1602年
7月20日、Benedictus XVが死去、後任はAlexander VI。内政4外交7軍事3。
7月26日、ワラキアを外交併合。
9月22日、5州割譲でマムルークと講和。戦争終結。もうマムルークは消化試合であります。
10月12日、アルバニアを外交併合。外交7は偉大だ。

1604年
メクレンブルグに2州を奪われ、首都のみになっていたブランデンブルグを片づける。
4月12日、ブランデンブルグに対して宣戦布告。ブランデンブルグ vs 教皇領
9月5日、ブランデンブルグを併合。戦争終結。

1607年
5月10日、メクレンブルグに対して宣戦布告。メクレンブルグ vs 教皇領
前回の割譲で領土が分断されているため、今回は楽勝だった。

1608年
6月24日、首都以外の3州割譲でメクレンブルグと講和。戦争終結。

次回予告

エルサレムとローマ帝国領を手に入れてゴキゲンなAlexander VI。
今や教皇領はヨーロッパに並ぶもの無き大国となった。
だが、Alexander VIは胸中に一人呟く。我々には、まだやらねばならぬ事がある。
アヴィニョン。残された唯一の飛び地。
アナーニの悲劇を繰り返させぬためにも、彼の地と彼の国に永遠の決着を。

 

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Last-modified: 2007-12-27 (木) 11:52:23 (4137d)