『あぁ、わたしは、休戦期間終了を五年間待っていたんだなぁ』と気づいた瞬間でした。
 

状況確認

 
 
周辺状況
 
map16.png

ヨーロッパはフランス領をちびちび削っているだけなので中東方面を。
まずはマムルークを完全に潰して、その後はティムール領を奪いながら東へ進んでいこうと思う。
余力が出てくればノヴゴロド、モスクワ、ノルウェーあたりも攻めたいが何時になるやら…
ナショナルアイデアの取得により、植民が可能になったのでナイル河流域の空白地に入植していく。
このプレイでは原則として植民はしないのだが、自国領で囲まれた場所については
灰色のまま残るのが嫌なので例外とする。


 
国内状況
 
月の収入605.4D
BBR7.39
陸軍(LV23)騎兵36000、歩兵143000
海軍(LV23)ウォーガレオン41隻、輸送船17隻
 

収入はかなり増えてきたが、植民地大国のポルトガル、イングランドはさらに上なのである。
カスティーリャが序盤で死亡したこともあってか、この二国で世界の植民地の大半を抑えている。
まぁこのプレイでは新大陸に手は出さないつもりなので、衝突することもあるまい。
軍の方は、陸軍が大幅に拡大している。これは主にフランス戦のために増強したためだ。
内政スライダは重商主義もMAXになったので質重視へどんどん寄せている。
今の収入なら質MAXにしても十分耐えられそうである。

巨人動く

1650年
7月1日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領
12月8日、首都だけになったAk Koyunluが宣戦布告してくる。Ak Koyunlu vs 教皇領
無謀すぎるぜアンタ…

1651年
5月11日、2州割譲でフランスと同盟主講和。

1652年
9月6日、Ak Koyunluを併合。戦争終結。

1653年
6月2日、チュニジアが宣戦布告してくる。
アンタも無謀すぎるぜ…………おいィ、ポルトガルと同盟組んでるよ…この人orz
チュニジア、ポルトガル vs 教皇領
大国の威を借りて挑んでくるとは小癪な。Ak Koyunluのバカっぷりを見習うがいい。
こうして図らずも収入世界一(月収1000D越え)のポルトガルと激突することとなった。

map17.png

ログで隠れて見にくいがチュニジア領はゲーム開始時から特に変わっていない。
ポルトガル領は新大陸以外だと本国と北アフリカ、アフリカ中部に広がっている。
アラゴンに通行許可を貰って本国を狙うこともできるが、
飛び地ができると面倒なので、対マムルーク部隊を使って北アフリカを西へと進んでいくことにする。

1654年
9月6日、2州割譲でチュニジアと単独講和。まぁチュニジアはどーでもいい。
チュニジアを踏み越えてポルトガル領へと踏み込んでいく。

1656年
4月23日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領

1657年
9月12日、2州割譲でフランスと同盟主講和。
北アフリカのポルトガル領の大半を抑えて戦勝点99%になった。
が、全く講和を受け付けてくれないし、ポルトガルからも白紙講和の要求しかこない。
ポルトガルは「唯一の信仰の擁護者」を宣言しているので、そのせいなのだろうか。
実は結構前から気になってはいたのだが、
ポルトガルは何時の間にか復活したカスティーリャと100年ぐらい戦争し続けている。
休戦期間無しの真・百年戦争である。これはやっぱりおかしい……
どうもカスティーリャが悪さをしてそうなので、カスティーリャ領を占領から解放してみることにする。

1659年
ジブラルタルを渡り、なんとかグラナダとアルメリアの占領を解除。
するとポルトガル、カスティーリャの戦争状態が無くなった。
停戦条約は結ばれていないので、やはり何かおかしな事になっていたと思われる。
その後、ポルトガルに講和を提案するとあっさりと受諾。やっと終わった…
1月26日、3州割譲でポルトガルと講和。戦争終結。
ポルトガルが失った「唯一の信仰の擁護者」は我々が宣言する。
我が教皇領以上にこの称号がふさわしい国があろうか? いや無い(反語)

2つの聖地

1660年
3月25日、Innocentius XIIが死去。後任はGregorius XV。内政7外交3軍事7。外交3……
北アフリカにポルトガル用の部隊を置いておかないといけなくなったので、
中東で新たにマムルーク用の部隊を編成する。
11月11日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領

1661年
7月1日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領
長らくキプロスは放置しているが、これはキプロスを属国化or併合してしまうと、
フランスが別の国と同盟を組んでしまうからである。
キプロスのような小国ならともかく、大国と組まれては面倒だからだ。

1662年
1月25日、5州割譲でマムルークと講和。そして…

mecca.png
メッカをゲットォォォーーーーーッ!

効果が微妙とか言わないように!

11月2日、2州割譲でフランスと同盟主講和。戦争終結。
フランスとマムルークは既にルーチンワーク気味。

インドへの道

1664年
チュニジアに対して宣戦布告。チュニジア、ポルトガル vs 教皇領

1665年
9月28日、チュニジアを併合。

1666年
8月13日、3州割譲でポルトガルと講和。戦争終結。
ポルトガルも兵をあまり集中してこないので、それほど苦戦はしなかった。
総兵力は多いのだろうが世界中に散らばっていると思われる。

1667年
2月15日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領

1668年
2月16日、2州割譲でフランスと同盟主講和。戦争終結。
12月16日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領

1670年
9月6日、4州割譲でマムルークと講和。

1672年
3月10日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領

1673年
8月23日、2州割譲でフランスと同盟主講和。戦争終結。

1674年
8月8日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領
そろそろマムルーク領も少なくなってきたので、今回は全土占領を狙ってみる。
唯一の島であるソコト島は開戦と同時に上陸する。
主力艦隊は地中海にいるので輸送船のみだが、マムルーク艦隊はカイロにいるから平気だろう。
ティムール領内にも飛び地があるので、ティムールから通行許可を貰っておく。

1677年
ソコト島が予想外に厄介だった。というか熱帯なのを忘れてたorz
上陸には成功したものの、しばらくすると消耗により包囲不可能に…
増援を送ろうにもマムルーク艦隊がしっかりガードしてて手が出せない。
仕方なくイングランドに通行許可を貰い、アフリカのイングランド港経由で主力艦隊を向かわせる。

マムルーク艦隊は34隻の大艦隊だったが、こちらも27隻であり質では上回っていた模様。
1隻沈んだだけでマムルーク艦隊を全滅させることができた。
その後、増援が上陸すると程なく陥落。全土を占領した。

3月3日、6州割譲でマムルークと講和。戦争終結。
これにより熱帯エリアの州を全部奪取したので、残るはアラビア半島とティムール領内の飛び地である。
また、スワヒリと国境を接したが気にしないでおく。一応押さえの兵は置いておくけど。
さらに…

india.png
インド航路開設!

しかし貿易無視のこのプレイでは…

ティムール帝国

6月25日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領

1678年
1月14日、2州割譲でフランスと同盟主講和。戦争終結。

順番だと次はポルトガルを攻める番なのだが、チュニジアを併合したために
ポルトガルがイングランド・アラゴンと同盟を組んでしまったorz
この同盟はあまりにも強力過ぎるので、とても手を出す気にはなれない。
やるとしてもフランスが片付いてからになるだろう。

そこでポルトガルは諦めて、ティムールを狙うことにする。
ポルトガルとの国境に最低限の兵を残して、残りを中東へと移動する。

9月14日、ティムールに対して宣戦布告。ティムール vs 教皇領

tumid.png

その版図は中央アジア、インドにまで及ぶ大帝国である。

1679年
6月20日、3州割譲でティムールと講和。戦争終結。
ティムールは兵力集中が遅かったため、特に苦労せずに終了。
技術差もマムルーク以上に開いているので、楽にいけるかもしれない。
兵自体は大量にいると思われるので油断はできないが。

8月27日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領

1680年
11月26日、4州割譲でマムルークと講和。戦争終結。

1681年
6月13日、Gregorius XVが死去。Alexander VIIが後を継ぐ。内政4外交4軍事3……ダメポ。

1682年
7月4日、フランスに対して宣戦布告。フランス、キプロス vs 教皇領

1683年
7月7日、2州割譲でフランスと同盟主講和。戦争終結。
9月24日、ティムールに対して宣戦布告。ティムール vs 教皇領

1684年
4月17日、2州割譲でティムールと講和。戦争終結。CoTゲットォォォーーーッ!

1685年
1月1日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領

1686年
3月5日、3州割譲でマムルークと講和。戦争終結。いよいよ首都のみとなった。

思わぬ伏兵

1687年
7月23日、フランスに対して宣戦布告。フランス、ノルウェー vs 教皇領
いつの間にかフランスはキプロスとの同盟を解消し、ノルウェーと組んでいた。
というか、宣戦布告してから気づいた!
フランス用の部隊の一部とチュートン騎士団方面にいた押さえの部隊を向かわせて対応する。

1688年
10月6日、ティムールに対して宣戦布告。ティムール vs 教皇領
ノルウェー軍は20000近い部隊が2つおり、手が出せない。
しかも、チュートン騎士団方面の部隊に移動命令を出していたのを忘れていて、
騎兵部隊と歩兵部隊が別個に突っ込み、ほとんど損害を与えられずに各個撃破されてしまう。
さらにフランスはノルウェーの属国になっていたことが判明。
つまり先にノルウェーと講和しなければならないのだ。
フランス方面は既に占領待ちの状態になっているので、部隊をさらに引き抜く。

1689年
フランスからの部隊を集結させてノルウェー主力を撃破。あとはサクサク占領を進める。
9月11日、2州+フランスの属国解除でノルウェーと講和。
9月12日、2州割譲でフランスと講和。
11月13日、4州割譲でティムールと講和。戦争終結。

map18.png
ティムール領の分断に成功

1692年
2月16日、マムルークに対して宣戦布告。マムルーク vs 教皇領
4月7日、マムルークを併合。戦争終結。
この日、115年に渡ったマムルークとの戦いが終結したのである。
12月13日、Alexander VIIが死去。Alexander VIIIが後を継ぐ。内政6外交8軍事7、やっと名君が!

次回予告

マムルークを滅ぼし、カイロを手に入れてゴキゲンなAlexander VIII。
彼はカイロを視察していた際に、ティムール方面軍の指揮官から、ある噂話を聞いた。
ティムール帝国には阿片と呼ばれている不思議な黒い薬があり、
服用すると苦痛を消し去り、神の姿を見ることもできると言うのだ。
噂の真偽を確かめるべく、彼は自らティムール領へ向かう。

 

添付ファイル: filemap17.png 256件 [詳細] filemap16.png 299件 [詳細] fileindia.png 259件 [詳細] filemecca.png 259件 [詳細] filemap18.png 236件 [詳細] filetumid.png 241件 [詳細]

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Last-modified: 2007-12-27 (木) 11:52:23 (4137d)