エーレスント通行税問題

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中世のリューベック 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ハンザ会議(1399.10.14)

沖を帆走するハンザ式コグから見えるリューベックのシンボルたる街並みからそびえ立ついくつもの青い屋根の尖塔はいつもと変わりが無かった。しかし、この日、ハンザ会議では重要な案件の決議がされようとしていた。
1399年10月14日、(史実より数十年早く)エーレスント通行税問題がハンザ会議で問題とされた。世論(神の思し召し)はデンマークからスコーネを奪い、海峡の自由航行の特権をハンザにもたらすことを望んでいた。
開戦の口実はある。デンマークの属国ホルシュタインが、ハンザの通商同盟を破棄してきたのだ。リューベックにとっては1143年の建国に際して大恩ある国だが、口実につかわせてもらう。
この日、戦争指導者としてハンザのシュタットハルターにゴッドシャルク・シュテーツが就任した。彼の軍事的才能は今次戦争において期待が大きかった。

ホルシュタイン交易戦争(1399~1402)

エーレスンドの自由航行権を求めハンザはホルシュタインの通商同盟離脱を口実にホルシュタインに宣戦。ホルシュタインの宗主国であるデンマークがハンザに宣戦し、海峡の戦いが始まった。
デンマークとホルシュタインの動員が行われる前に海峡を渡ってスコーネを落とさなくてはならない。開戦前にハンザは傭兵を9個連隊集め、正規軍(リューベック及びハンブルクの軍)と合わせ10個連隊そろった時点で宣戦布告。奇襲を受けたホルシュタインはなすすべもなくホルシュタイン、スレースヴィを蹂躙されてしまった。戦いの帰趨はエーレスンドの制海権に尽きる。ホルシュタインの軍船は陸からの奇襲攻撃で港から出撃せざるを得なかった。

ハンザは交易船(ハンザ式コグ)まで動員しエーレスンドに進め、ホルシュタイン海軍を一網打尽にした。実際、デンマーク、ホルシュタイン合わせた軍船の数はハンザのそれと拮抗しており、もしも負けたらこれで終わりというかけであったが、デンマーク海軍はシェラン島に逼塞して出撃してこなかった。デンマーク軍が海峡を渡れないとみるや、ユトランド半島に軍を進めこれを占領した。海峡の制海権をハンザが支配しているため、デンマーク軍は二つの島と半島にそれぞれ2000づつの兵を配置する形になった。あとは各個撃破してゆけばこの戦争には勝利することができるだろう。
しかし、1402年の講和会議で戦争終結の文書に署名したのはゴッドシャルク・シュテーツではなかった。彼はシェラン島の戦いで圧倒的な兵力差でありながら戦死していた。彼のかわりに署名したのは、シュテーツの後任の人物だった。戦争中にシュタットハルターになったのはフォンの称号をもつ貴族であった。ジークフリート・ローゼンダール=フォン・ホルシュタイン。皮肉にもホルシュタイン伯爵家の係累であった。

この講和会議で、スコーネ、フュン、ユトランド半島、ハッランド、およびホルシュタインをハンザは得ることができた。スレースヴィは戦争中にハンザに加わったのでここでは加盟(割譲)の対象とされなかった。スレーヴィを得ていたために一度の戦争でホルシュタインを加えることができたのは大きかった。
そして世論に後押しされた(神の思し召し)エーレスントの通行税撤廃は実現されたのだった。

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シェラン島問題(1402~10)

折角得た特権である。問題はこれをどう維持するかであった。
デンマークの力が衰えると、1397年に結んだばかりとはいえ、ノルウェー、スウェーデンがカルマル条約を破棄してくる恐れがあった。その場合このゲームでは上位構成国との戦争、つまりシェラン島のみを領有するデンマークを攻撃してくることになる。
ハンザは、自らの特権を守るためにデンマークを守る必要があった。
1405年にカルマル条約を破棄したスウェーデン王ヨハン2世はデンマークと戦争状態にであることを宣言した。ハンザはデンマーク防衛の義務(保護を与える)を負っていたのでこの戦争に介入した。

開戦劈頭のスウェーデン軍のスコーネ奇襲によって、ハンザの守備隊5000が壊滅的打撃を受けた。5日間の戦いで半数を失ったが、洋上の艦隊への撤退に成功。エーレスントの制海権をもたないスウェーデン軍は海峡を渡って追撃はできなかった。ハンザもデンマーク領の通行権をもたなかったので、同時に5個連隊しか攻め込ませることができず、戦争はスウェーデンがスカンジナビアのハンザ領を占領したままこう着状態に陥った。ハンザが緒戦のダメージから回復し、ノルウェーが別口で参戦したタイミングで1度はスコーネを奪い返すこともあったが、スウェーデンのヨハン2世は執拗にスコーネに戻ってきた。

1407年11月に事態は急展開をみせた。デンマーク王フレデリク1世フォン・オルデンブルクがヨハン2世と単独で和を講じたのだ。ハンザ会議は、スウェーデンとの即時和平を含めた戦争指導方針を討議した。
ハンザが選んだのは、スウェーデンとの戦争は継続しつつ、デンマークを討つという一見無謀な方針だったが、戦力のほとんどないシェラン島を陥とすのは容易であったし、むしろ艦隊を使わずに攻め入ることができるので大軍の同時投入が可能であった。つまりはデンマークのみならずスウェーデンとの決戦も可能ということになるのだった。

1410年、5年にも及んだ戦争が終わった。両国とも厭戦感情の悪化によって国内に不安を抱えたまま戦争は継続できないし、なにより主権回復を目指して戦うスウェーデンにしてみれば、デンマーク王国がマップから姿を消しているのに戦う理由すらなかったはずだ。


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Last-modified: 2010-05-15 (土) 16:36:38