カンガルーはいない
カンガルーはいない/聖地を目指せ

マキシミリアン2世 フォン・ハプスブルク

皇帝即位時
即位時の状況

行政6 外交8 軍事3

オーストリアの版図

 マキシミリアン1世は1450年ごろから常に病床にあり、側近のベンノと後継者のヨハン公が権勢を振るっていた。その後、ベンノは、フス派狂信者を利用してヨハン公を暗殺し、わずか10歳の子供を傀儡の後継者に選び、独裁者となった。
 マキシミリアン2世は、マキシミリアン1世の従兄弟や従兄弟の子は2桁以上も存在し、自分の代わりがいくらでもいることを承知していた。常にベンノをたて、目立たないように少年時代をすごした。

 1470年にマキシミリアン1世が崩御した時、オーストリアはボヘミア、トランシルヴァニア連合国と戦争中であった。
 国内の混乱を防ぐためにボヘミアを併合し、皇帝に就任した。
 オーストリア公爵の地位を嘱望しているライバル*1も皇帝には、うかつに手を出すことができなかった。
 トランシルヴァニアとの戦争も優位に進め、スラブォニアを領有した。

 1472年には、ビザンティン帝国の求めに応じて、キプチャク汗国に遠征軍を派遣した。

皇帝親政

十字軍に行けない

 スラブォニアを奪取したため、トランシルヴァニアとは外交断絶になってしまった。
 マキシミリアン2世は、ベンノを呼び出した。
「ベンノ卿。皇帝に就任した以上、十字軍を成功させなければならない。トランシルヴァニアについて、どう対応すればよいか?」
 ベンノの荒唐無稽な中核州主張で、トランシルヴァニアとの外交がうまくいかないのである。マクシミリアン2世としては、十分な皮肉を込めているが、ベンノには、そんな声は聞こえない。
「公*2。チュートン騎士団と同盟したので、モスクワもエルサレムまで遠征することは不可能です。国内に不満分子も多いので、しばらくは、遠征を控えた方が良いでしょう。」
 敬称をわざと低く呼ぶだけでも不遜であるが、勝手に同盟を結ぶのは、越権行為である。この奸臣をいかに排除するか。マキシミリアン2世にとって、難しい課題となった。

黒海十字軍

トランシルヴァニアが

 1477年にマムルーク朝がビザンティン帝国に侵攻した。
 オーストリア、カスティーリャ、モスクワ公国、ノヴゴルドがビザンティン帝国救援のため十字軍に参加した。
 これまでは、オーストリアが主導していたが、オーストリア軍がトランシルヴァニアを通過できないこと、モスクワ公国と戦争を行っていることが理由でカスティーリャが主導することとなった。

奸臣死す

 さて、ここで疑問となるのは、オーストリアがはるか遠方のモスクワ公国と戦争をしていたのかである。
 1475年にベンノが勝手に同盟を結んだチュートン騎士団が、デンマークに宣戦布告したことに始まる。デンマークの同盟国としてノルウェー、スウェーデンとモスクワ公国が参戦し、ずるずると長引いていた。(1481年まで続く)
 1478年には、カスティーリャのライバルであるポルトガルがアラゴン、トランシルヴァニアとともに、マムルーク十字軍に参加した。
 トランシルヴァニアとの関係改善が進まず、チュートン騎士団との同盟が完全な裏目になり、ベンノの名声は地に落ちた。
 マキシミリアン2世は、公金横領罪でベンノを逮捕することにした。逮捕の知らせを聞いたベンノは官憲が着く前に毒酒を飲み自殺した。官憲は、ベンノの死を確認した後、公金横領の容疑で館や関係先を捜査したが、隠し財産どころか金塊1つ見つけることができなかった。
 帳簿を確認してわかったことは、国費を投じて、各都市に工房を築いたと言う事実であった。ただし、権限を越えて、勝手に支出したことは事実である。

1476年4月3日 チロルに工房が完成。
1476年4月3日 ザルツブルクに工房が完成。
1476年4月3日 ブレシアに工房が完成。
1476年4月3日 トレントに工房が完成。
1476年4月3日 ケルンテンに工房が完成。
1476年4月3日 クレインに工房が完成。
1476年4月3日 シュタイアーマルクに工房が完成。
1476年4月3日 リンツに工房が完成。
1476年4月3日 ウィーンに工房が完成。
1476年4月3日 スラブォニアに工房が完成。
1476年4月3日 モラヴィアに工房が完成。
1476年4月3日 ボヘミアに工房が完成。
1476年4月3日 スデーティに工房が完成。
1476年4月3日 リエンツに工房が完成。
1476年4月3日 ゲルツに工房が完成。
1476年4月3日 オストマルクに工房が完成。

完全な失態

歩兵だけでは無理なのだよ

 トランシルヴァニアの通行権が得られないため、黒海沿いにトルコに入り、エルサレムに向かったが、長い遠征で兵は疲れていた。
 マムルークの主力と会戦した時には、すでに勝負はついていたと言える。
 その後、3万あまりの兵力を投入したが、エルサレムにたどり着くことはできなかった。
 そして、主導権を握るカスティーリャが、マムルーク朝と和平したため、不完全な形で、終わることとなった。

 マキシミリアン2世は、トランシルヴァニアとの外交改善を含め、数多くの宿題を残すことになった。

マムルーク朝を注視せよ

栄えてますね

 マキシミリアン2世は、オーストリアが行った3回の十字軍について総括をする会議を開いた。
「オーストリアの十字軍は3回実施したが、すべて失敗した。今後の方策について、意見を求める。」
 皇帝マキシミリアン2世の発議に対し、フッガー家のヤーコブ2世が答えた。
「先達には無礼と思われますが、ご容赦願います。まず、エルサレムを奪還すると言う目的は崇高ですが、その後の方策を聞いたことがありません。具体的には、どこまで進軍し、どこまで領土として維持所有するのかが、明確でないと言うことです。」
 この発言に軍人は嫌な顔をし、外交官は頭を掻いた。
「意見はもっともである。ただ、批判は誰でもできる。では、卿はどうする?」
「まず、エルサレムを占領することは、誰もが思うことです。」
 この発言に、一同が笑った。皇帝は、一同を制止し、ヤーコブに発言を続けさせた。

1487年十字軍侵攻図

「五大教会*3をキリスト教の手に戻すことです。このうちアレクサンドリアとアンティオキアは直轄地にしましょう。そして、イェルサレムは独立させましょう。」
 一同は五大教会と言う稀有な構想に驚き、イェルサレムに目を回した。
「五大教会とは、おもしろい。しかし、なぜイェルサレムは独立で、ダマスカスやカイロは異教徒のままなのか?」
「敵のマムルークは、ヨーロッパで言えば貴族のようなものです。領地と言う考えで凝り固まっていますので、広大な土地を要求することは至難の業です。また、広大な土地を支配するとすれば、マムルークや異教徒の領民を多数抱え、維持が大変になります。イタリア経営*4やボヘミア経営*5の様に本土に負担が大きくなります。」
「歴代の皇帝の失策は、朕も理解しておる。卿の考えはわかった。しかし、なぜ、イェルサレムは独立なのか?」
「陛下。五大教会が復活すれば、ローマ教皇の地位は相対的に低下します。いえ、低下させなければなりません。しかし、五大教会のうちオーストリアが3つも支配していれば、他国はオーストリアを警戒し、教皇と手を結ぶ者も出てくると思います。それと、アレクサンドリアはイスラム圏の貿易の源です。アンティオキアも良い港を持っております。」
「五大教会のうち3つでは、過半数を超えて警戒されるか。統治には金銭的感覚も必要だな。では、我が国はこの方策で行く。異論は無いな。」
 出席者一同から異論は出なかった。

五大教会回復

 この会議は、会議録が残っており、場所がヨハンの間と呼ばれ、円卓には十数名が腰掛けることができる部屋であることまではわかっている。しかし、出席者を記録し忘れたためか、マキシミリアン2世、フッガー家のヤーコブ2世以外の出席者については、不明である。

 この構想に基づき、1487年にマムルーク朝に侵攻した。
 度重なる戦争で疲弊していたマムルーク朝はたいした抵抗ができずに敗退した。
 1490年。ここに五大教会がキリスト教の手に回復したのである。

改宗

10年近くかかった

 改宗政策が決められた会議録が残っている。
 開催場所はヨハンの間であるが、出席者は記録されていないため、マキシミリアン2世、ヤーコブ2世以外はわかっていない。他の出席者は、常に無言であったのだろうか。
「マムルークとの戦闘にも、おおよその目処がついた。そろそろ、統治後の施策を定めたいと思う。意見を求める。」
 マキシミリアン2世に対し、これまでの会議と同じく、発言したのはヤーコブ2世である。
「陛下。イベリア半島と異なり、支配地はイスラム教徒の国家と陸続きです。異端者を追放しても帰ってくる可能性があります。また、アラブ*6は移動しますので・・・・例えるならば、ロマ*7みたいなもので、追放しても帰ってきます。」
「アラブと言うのか。あの騎馬隊は。これまでも、今回の戦でも・・・・・うーむ、支配すれば、我が民じゃ。ヤーコブ、どうすればよいのだ。」
「陛下。お気持ちはご察しします。かの国では、人頭税等を払った異教徒の信仰の自由を保障しました。われわれも、似たような支配体制をとるのが良いと思います。」
「放浪する者は捕捉もできぬし、改宗させる事はできぬか。しかし、人頭税も取れぬぞ」
「陛下。アレクサンドリアで一番の資金源は、香辛料など、キリスト教徒との取引です。仲買*8や倉庫業などをキリスト教徒に限定し、彼らの使用言語をオーストリア語*9にするのがよろしいと思います。」
「ヤーコブ。おぬし達が独占したいのじゃろう。その代わりに、利益の一部は国庫に納めよ。」
「御意」
 やはり、お金がものを言うのである。
 地中海交易の交易の中心はヴェネツィアから、アレキサンドリア-ウィーンに替わっていったのである

イタリアへの野心

イタリア進出

 十字軍の成功はヨーロッパ全土が沸き立った。
 五大教会を開放したオーストリア、イベリア半島からイスラム勢を追い払い、北西アフリカやトルコの過半を占領したカスティーリャ、東方に進出しているビザンティン帝国の3強の活躍を人々は賞賛した。
 イスラムが台頭して以来失っていた土地を取り返し、ローマ帝国の最盛期を越える版図まで手を伸ばしたのである。
 ただ、すべてのキリスト教勢力が手放しで喜んだわけではない。

 五大教会の復活で、キリスト教徒の最高位から滑落する可能性の出てきたローマ教皇は焦っていた。

 また、新大陸からの物資の集積により、イベリア半島が交易の中心地に躍り出た。
 これにより、商いが少なくなり、ハンザ、フランドル、イタリアの交易の地位が低下していった。
 特に、オーストリアにイスラム交易の利権を奪われたヴェネツィアは低落が深刻であった。

ミッションコンプリート!!

 さらに、オーストリアが北イタリアに侵攻し、ロンバルディアとマントヴァを制圧したのだった。

 この侵攻は、ローマ教皇とヴェネツィアの商人たちの肝を冷やした。
 神権の最高位である教皇と俗権の最高位である商人が、対オーストリアで手を組むきっかけとなったのである。

 その様な中、マキシミリアン2世が亡くなった。
カンガルーはいない/教皇降格
カンガルーはいない


*1 即位時の正統性はなんと17!!
*2 オーストリア公爵兼神聖ローマ皇帝なので、本来は陛下が正しい。
*3 イェルサレム、アレクサンドリア、アンティオキア、コンスタンチノープル、ローマのこと
*4 神聖ローマ帝国の施策 ドイツ本土よりイタリアを優先しドイツでの分権が進んだ
*5 神聖ローマ皇帝 ルクセンブルク家のこと
*6 ベドウィン:アラブの遊牧民族のこと
*7 ジプシーと呼ばれた集団 中東欧に居住する移動型民族
*8 売り手と買い手の間に立って、物品や権利の売買の仲介を行う者
*9 ドイツ語のうち南部 特にバイエルンやオーストリアで使用される方言

添付ファイル: file北イタリア.jpg 286件 [詳細] fileミラノ.jpg 240件 [詳細] file改宗.jpg 404件 [詳細] file和平.jpg 263件 [詳細] file進め.jpg 196件 [詳細] fileフッガー家.jpg 208件 [詳細] fileアレッポ敗戦.jpg 200件 [詳細] fileベンノ死去.jpg 195件 [詳細] fileビザンツ十字軍.jpg 226件 [詳細] file通行止め.jpg 238件 [詳細] file1470.jpg 256件 [詳細] fileボヘミア滅亡.jpg 256件 [詳細]

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Last-modified: 2010-11-24 (水) 12:48:07 (3074d)