ビザンチン帝国の復活

 1420年3月、コンスタンチノープル宮殿にて、皇帝Ioannes VII世は家臣らを集め、新たな戦争の開始を告げた。
「トルコとの戦いは、もはや峠を過ぎた。もはやトルコ人は敵ではなく、次は驕れるラテン人だ。彼ら成り上がり者どもにローマ帝国との格の差を教えなくてはなるまい。
 予は、そろそろミッションのギリシアの解放を始める事にしよう」
「ギリシアというと……残っているのは、ヴェネツィアと彼らの同盟国アカエア……すると」とElipidos。
「そうだ。帝国はヴェネツィア共和国と開戦する」
「ヴェネツィア本土まで遠いですな」
 家臣の一人が呟く。
「そこは問題無い。オーストリア公がヴェネツィア本土を抑える役目となる。また同盟国のバヴァリア、ボヘミアもだ」
 オーストリアはきっと悲惨な事になるだろう、とElipidosは思った。
「だがその間に、我々はヴェネツィア人からギリシアを解放する時間を得られる。また、余裕があれば、クレタとコルフ島も帝国の手に取り戻そう」
「陛下の意志のままに」

 二つの軍団をギリシア国境へ移動させると、帝国はヴェネツィア大使に対して開戦を告げた。
 だが、悪辣なるヴェネツィア人の策謀であろうか。開戦と同時にBrusaでスンニ派の反乱が起きたので、5000の別働隊は予定を変更してそちらへ向かわせ、主力はまずAcheaを攻撃。さらにAtensも少数の歩兵で包囲した。
「急ぐのだ。ここは突撃で落とせ」
 皇帝の命により歩兵の突撃が行われるも、防戦側の善戦により失敗。彼らの士気が上がり、膠着してしまう。
 コルフ島にはジェノア軍2000が上陸した。オーストリアはバヴァリア、ボヘミア、ヴェネツィアの主力相手に苦戦している。

 9月、三度目の突撃によってAchea陥落。すぐに王国は帝国に併合された。そして全軍でAtens包囲に入る。

 12月、小アジアの宗教反乱は鎮圧した。5000の帝国軍は次はクレタ島上陸作戦の準備に入る。
またAthensも陥落。ギリシアに残存していたヴェネツィア兵も皇帝直属騎兵軍4000が全滅させた。

「あとは、クレタ島を得る事で戦争を終結させよう」皇帝は将軍達に命じた。
「ところでオーストリアはどうなっている?」皇帝の問いに対して、外交官の一人が告げた。
「ボヘミア、バヴァリアに苦戦しているようです。領土も一部占領されています」
「そうか。ならばバヴァリアへ講和の使者を送ってやれ……彼らにKonstanzを割譲すると言ってな」

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「陛下。その領土は……オーストリア領でありますが?」
「そうだ。彼らはいずれ強大な敵となる恐れがある。今、少しでも力を削いでおくのも必要と思ってのう」

 同盟主の特権によって、バヴァリアは領土を一つ得て、戦争から脱落。蚊帳の外に置かれたオーストリア公は、唖然とするばかりであった。そして帝国への復讐を誓うのだが、それは後の話。

 次は4000の騎兵で帝国はクレタ島上陸作戦をしたが、タッチ差でジェノアが先についてしまった。

 皇帝はその報を聞くと、即座に戦争を終わらせる決意を固めた。ヴェネツィア人からクレタ島をジェノア人に渡すのも馬鹿馬鹿しい限りである。

 1421年3月22日、Athensを割譲させてさっさと講和。残るボヘミアも賠償金150出させて講和する。
 これで帝国はギリシア全土を奪還し、最初のミッションは成功した。威信10.0に100ducatsを得る。威信はこの戦争で100のMAXになった。ローマ帝国の威信は回復されたといっていいだろう。

 次のミッションは、南イタリアを取って帝国の安全を確保せよ、という。具体的にはNapoli,Apulia,Calabriaを得ること。

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 しかしそれは皇帝の意志では無い。まずはトルコを片付けたいところだ。
 その為、このミッションはキャンセルする(ペナルティーは無い)。即座に新たなミッションがこのゲームの神から授けられる。今度は、小アジアの民を正教会の信仰に戻すように、という。ボーナスの安定度+3は、すでに安定度が回復している今、あまり利益にならないが、現状では改宗は好都合なので実行する。

 戦争とミッション成功の結果、帝国は資金を500得たので、海軍の増強と、騎兵の動員に用いる。またインフレ率が5%を超えたので、資金を国庫へ入れるのを控えるようにした。

 1421年8月16日、再び小アジア統一戦争を再開する。今度の敵は北部のCandar。もっともオスマン帝国も独立保証しているので、トルコ人とも再び戦う事になる。すでにオスマン軍は2000にまで激減しているので楽勝の相手となっていた。

 オーストリア、ジェノア、アルバニアの同盟国も参戦。ジェノアはクリミア半島で敵盟主のモンゴルと戦う事になる。他にAk Koyunluも参戦したが、何も出来ないだろう。

 侵攻した8000の皇帝騎兵軍はCandar軍4000を一撃で全滅させた。

 そして11月にはすべての敵軍を小アジアから消滅させ、城攻めは突撃を中心に早々と進めた。

 だが、順調とも思えた戦争は、思わぬ展開を見せる。
 包囲中の皇帝軍のもとへ危急の使者が欧州側領土より送られてきた。
「大変であります。モンゴル軍15000は、ジェノア領Budjakを落とすと、そのまま南下し、帝国領Silistriaへ襲来してきました!」
「なんだと……。ジェノアめ、意外と使えぬな」

 皇帝は即座に救援の為に騎兵軍8000とともに欧州側へと急行した。またマンパワーが無いので、帝国領欧州側で傭兵を5000雇い、体勢を整える。

 まずオスマン領を3つ全て占領し、首都以外の2つを割譲させ戦争から脱落させる。

 また7月19日、モンゴル軍に帝国軍は大勝する。皇帝の軍事的才能が発揮された。

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モンゴル軍との会戦

 そして南西への追撃戦を続け、Nisでモンゴル軍を全滅させる。

 同時に、Candar全土の占領も終わり、首都以外を割譲。

 しかしまだモンゴルは白紙講和を拒否するので、黒海を挟んで東西に分けた帝国軍が同時に北上させて侵攻する(東方軍はグルジア領を通過)。だが、こちらのマンパワーは800に落ち、兵の補充が出来なくなった。モンゴルはなかなか白紙講和に応じてくれないので、皇帝は焦りを感じていた。征服したばかりの小アジアのムスリムが反乱したらどうしようか。

 1423年6月、帝国は25ducsts払う事で、ようやくモンゴルと停戦。全軍帰還させ、小アジアに騎兵軍を置いて反乱に備える。

 すぐにBrusaでスンニ派の暴動が起きたが、騎兵で迅速な火消しをする。

 また帝国はロードスの聖ヨハネ騎士団と同盟を結んだ。彼らは異端のラテン派から真の信仰に目覚め、ギリシア正教国となっている。また同じく正教国になったエーゲ海のNaxos共和国とも同盟。

 1425年5月、政治技術が4になったので、National Bankを帝国は取り入れた。初期に無茶した(笑)為に5.3%になっていたインフレ率の鎮火を始める。
 また寺院も建造可能となったので、皇帝はコンスタンチノープルに聖ソフィア教会を新築する事を命じた。

 その頃、西方ではハンガリーが大国化している。いずれ帝国とも一戦交える事になるだろう。だが今はイスラムとヴェネツィアが帝国の主な敵である。

 1428年3月11日、帝国はまたモンゴルに宣戦布告。これによってオスマン帝国とCandarも参戦――すでに1州となった両国を始末する時期が来た。あとチャガタイ汗も参戦した。

 だが同盟国のオーストリアが辞退。東方帝国同盟から離脱した。先の戦いで領土を無法に取られた恨みを晴らす事になった。次のヴェネツィア戦、クレタ、コルフ解放戦での貴重な生け贄――いやいや、戦力だっただけに皇帝は残念がった。

 まず5月1日、Candirが陥落し、帝国に併合された。

 6月11日、オスマン帝国最後の領土Anatoliaは陥落し、オスマンはとうとう滅亡した。

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オスマン帝国滅亡!

 皇帝Ioannes VII世は、講和会議の席でトルコのスルタン――いや、元スルタンBayazid I世と会見した。
「貴殿ら親子は、まことに強敵であった。予は、トルコの民を率いるには無能すぎたようだ」
「いや。我々にとって、貴殿は恐るべき敵だった。一歩間違えていたら、滅びていたのはビザンチン帝国の方だったかもしれない。これからは、Anatolia総督として、我が帝国に仕えてくだされ」

 ビザンチン帝国は滅亡寸前の状況から奇跡の復活を果たし、宿敵トルコ人をついに逆転滅亡させたのだった!!

 だが、モンゴルとの不毛な戦争はまだ続いている。国内軍に1個師団を残し、残りの全軍は東西から黒海を迂回してモンゴル領に侵攻した。
 そしてまた白紙和平まで粘り続ける。

 だが皇帝はスパイから恐るべき知らせを受けた。モンゴルの汗は、3万を超える大軍を率いて迎撃に来たという。

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なに、この大軍(w

 会戦が何度か行われるが、いずれも帝国軍は敗退。帝国は本気になったモンゴルの恐ろしさを戦場で味わう羽目となった。
 皇帝は全軍に速やかに帝国領への撤退を命じ、西部のSilistriaからモンゴル軍が進入してくるのに備えた。また帝国内で動員を開始し、一個師団を新たに作る。
 帝都コンスタンチノープルではモンゴル兵の襲来の噂に市民らは震え上がった。

 1429年8月、ジェノアはモンゴルと白紙和平。

 ここで皇帝もモンゴルへ使者を送った。
「陛下。現在の戦勝点は-3。賠償金を払うしかないでしょうな」と家臣が言う。
「そうだ。だが、払うのは我々では無く、彼らだ」
「は? なんですと?」

 なぜかモンゴルは応じてくる。
 結局、取れるだけ取って250ducatsを帝国は受け取った。モンゴルもジェノアからの侵入可能地点が無くなった時点で、戦争を諦めたのかもしれない。

 1429年11月23日、小アジアの解放者、Ioannes VII世帝は、まるで役目を終えたかのように崩御し、Andread I世の御代となった。また管理8の優秀な皇帝となった。

 前帝のもとで宿敵トルコは滅び、小アジアをビザンチン帝国は回復した。
 即位したばかりの新帝は、早くも、中東、エジプトへの遠征軍の準備を軍部に命じたという。
 ローマ千年帝国の栄光は、これからもますます続くのだ。

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1430年の世界
 
 

結び

 ここで、このAARもひとまず終わらせましょうかな。もはや復活したビザンチン帝国が地中海世界を制覇するのも時間の問題でありましょう……(ぶっちゃけ、以後はトルコプレイと変わらないし)。

 しかし、最初の戦いさえしのげば、ビザンチン帝国は意外と楽な国ですね。広大な中核州を所有する事により占領地の反乱リスクが無く、イスラム相手の開戦には安定度低下のデメリットも無い。
 1399年、ティムールにオスマンが叩かれるスタート時期も、ビザンチン再興の助けになります。
 Johanがこの時代をINのスタート地点に選んだのも、Paradoxiansに人気のあるビザンチンを蘇らせるには好都合の時期でしょ? という策謀を感じるのは気のせいか(w


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Last-modified: 2008-06-04 (水) 15:04:13