(承前)

摂政評議会 1579年-1582年

カウナを獲得。
カンペチェを喪失。
四個目の国策「総督制度」を採用。これは関税収入を+25%する。

居仁1世 1582年-1617年

1586年、ついにハワイが中核州となった。さっそくメキシコ北部のウイチョールに入植開始。
日付変更線を越えて入植者を送る場合、セーブ&ロードでゲームがクラッシュする。そのため、ある程度入植者が溜まるまで待機し、入植者の到着予定時刻を横並びになるように調整して送り出した。
そして入植地に到着後、ポーズ&セーブを行う。入植者の派遣途中にセーブしてもそのセーブデータは使用できない。
我が国の入植者数は年間+1.2人である。よって、丸4年の待機後一斉に入植、というパターンが固定化した。

 
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初の北米入植地(1588年)

上図に示したカリブ海沿岸の日本領ホンジュラスも1594年に中核州化する。このプロヴィンスは大西洋に開いているため、アメリカ東海岸にも入植可能となることを意味する。

1585年、破滅的な戦いとなった日本による第二次インカ征服の結果、勝利が達成されました。
同年、チムーが日本により併合され、南米における初の日本領となった。
1590年、第3次インカ征服戦争。第3次チェロキー征服戦争。
これらの原住民国家は全土を占領して戦況スコア100%を獲得しても戦争は終結させない。できるだけこういった無害な戦争は長引かせ、その全期間を通じて戦争税(国税修正+50%)を得る。この手はよく使いますよね。史実アングロサクソンのように悪辣ですって? いえいえ、わが国は高潔な国として評判らしいですよ。

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  • 管理君主制を採用(生産効率+10%)
     
    管理君主制.png

入植成功確率も向上するため、早めに取っておきたい政体である。

また、満州と軍事同盟を締結した。明は満州と朝鮮に侵食され、長きに渡る明-朝鮮戦争でも外敵を排除できなかった。
シベリアの日本植民地が国境線の大部分を満州と接している点もふまえ、満州は日本の同盟相手に相応しいという国家戦略上の決定がなされたのだ。未来の清には、領土拡張欲を明に対して開放してもらうよう誘導すべきだろう。明よ、今まで日本に宣戦しないでくれてありがとう。

  • 技術グループの東方化
    1589年、技術グループをorientに変更した。
    1538年にイスラム教に技術グループを変更してから、実に半世紀の歳月が流れていた。安定度回復に予算リソースを回せなかったためだ。
    東方化後、ラテン化のために予算を安定度回復に注ぐことになるが、後から考えればorientからlatinにする必要はなかった。両者で技術コストは10%しか違わない。ラテン化による安定度打撃と、保守主義への政策スライダーの移動遅れ(宣教師が得られない)方が深刻な問題だ。
  • 北米大陸囲い込み戦略の始動
    カリブ海と大西洋の探索を進めると、ヨーロッパ勢の新大陸進出が極めて低調なことが判明していた。
    イングランドは未だアメリカ東海岸に植民地を築いていない。この世界にはフランスが存在せず、一方、フランスを代替しているブルゴーニュのAIはなかなか新大陸に進出しようとしない(傾向があると思う)。ポルトガルも存在しない。
    これはチャンスである。
    1596年、私は蓄えていた入植者をアメリカ西海岸ではなく、アメリカ東海岸に一挙に放った。目的はひとつ、ヨーロッパ勢のアメリカ東海岸入植を妨害し、将来の北米大陸争奪戦を容易にするためだ。

1597年、コネティカットに初の東海岸入植地を建設した。

 
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1597年の北米東海岸
  • 技術グループの西方化
    1599年、全力で推進していた安定度回復が功を奏し、安定度は+3を取り戻していた。
    私は万感の思いとともに最終西欧化命令書に押印した。
 
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隣国ボーナス+100。毎月の技術投資予算に匹敵するボーナスが勝手に流れ込む幸せ。

この人生では13プロヴィンスを獲得した。
海賊対策法を施行。
1616年、5つ目の国策「希望の地」を選択。全植民地の成長速度が+20%に加速する。
また、私は「革新主義をお気に召されている」と評されているが、実は西欧化に支障のない範囲で保守主義に寄せようとしていた。早期に宣教師を得たい。

1617年、私は世界地図を眺めながらこと切れた。満面の笑みを浮かべたまま。
七度目の人生が終了した。

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1616年の世界。デカンと交代するように大国化した、中東の水色の国はコラサンです。しかもなぜかこのコラサン、日本の属国です。コラサン(ホラーサーン)は「(イランから見て)陽の登るところ」の意だそうだから、日出処つながりでしっかり友愛しましょうね。
 

東山1世 1617年-1631年

この人生では、初めてスペインとの小競り合いを経験した。アラビア半島にてクリストバル・デ・アラゴン率いる6000人と日本軍4000人が戦い、スペイン軍にはほとんどかすり傷しか負わせることができなかった。
我が国の陸軍レベル15に対しスペインは22。全く歯が、立ちませんでしたッ!!
日本は何の成果もなく、アデン割譲+賠償金で講和を購入したのだった。

hwabyeong.jpgぐやじい゛っ。腹いせに原住民から賠償金搾ってやる!
 

セーブデータの中身を確認したらチムーが結構な額の金を持っていた。よし、さっそくチムーを再独立させてぶん殴ってやる! 力のある者から無い者への善意など、この世に存在しないのだよ。
……なんてね。まあ実際はアタクシ優しさを隠して厳しく社会の矛盾と戦う偽悪家なのでして。チムーに甘美な民族自決気分を一瞬でも味あわせて差し上げたかっただけですw

この人生では19プロヴィンスを獲得し、1プロヴィンスを失った。
商取引所を設立。
議会解散法を可決。
そして八度目の人生が終了した。

永仁1世 1631年-1644年

この人生では19プロヴィンスを獲得した。
アメリカ東海岸の植民地建設に総力をあげた。
鉄のとれる出雲に兵器工場を建設。
ポルトガルが日本に対し植民地戦争を挑むが、彼我の戦力差は歴然で、難なく撃退。せっかく入植した植民地を破壊されるのは避けたいため、わが国は新大陸の適切なプロヴィンスに1万人規模の陸戦隊を駐留させ、輸送船でカリブ海全域に迅速に配置できる体制を整えていた。
4年ごとに5人の入植者を送り出し、祈る。ただその繰り返しの生涯。だが希望に生きる身は楽し。理想に近づきつつある感動の中で、私の九度目の人生が終了した。

摂政評議会 1644年-1648年

私が不在の間にオハイオを獲得した。
また、再独立していたポルトガルと植民地戦争を1年間戦った。
わが国によるアメリカ東海岸への入植は順調そのもの。一方、ヨーロッパ勢力は北米大陸での橋頭堡建設に失敗している。スペインが植民してこないのが謎。

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1649年のアメリカ東海岸。なんたる途方もない規模の北米大陸囲い込みよ。歴史の中に未来の秘密があるのだ。
 
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1649年の世界。1630年頃イングランドのエドワード5世は大英帝国の建設を決定しエゲレス誕生。オスマン帝国とスペインは激しく争っているがオスマン帝国が優勢。あとロシアさんこっち来ないで。
  • 帝国統計年鑑(1649年 民明書房刊)
 
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収入世界一を達成。
 
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陸上兵力は世界第八位で変わらず。オスマン帝国が騎兵だけで11万越え。この国がヨーロッパを混乱に陥れます。
 
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海上兵力は世界一に。今やわが国は、広大な植民地を有し毎月交易で40-50ダカットを稼ぐ海洋国家ですから。
 

添付ファイル: file管理君主制.png 35件 [詳細] fileworld1649.png 36件 [詳細] fileworld1616.png 39件 [詳細] filewestern1599.png 35件 [詳細] filewartax.jpg 41件 [詳細] fileseapower1649.jpg 35件 [詳細] filenorthamerica1649.jpg 35件 [詳細] filenorthamerica1597.jpg 40件 [詳細] filenorthamerica1588.jpg 38件 [詳細] filelandpower1649.jpg 37件 [詳細] fileincome1649.jpg 35件 [詳細] filehwabyeong.jpg 40件 [詳細]

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Last-modified: 2019-03-04 (月) 23:23:33