ルイス即位

  • 物語風AARって結構大変だなと感じております。少々折れかけた心に鞭ではなくギブスをあてて頑張りたいと思います。文中で、国名プロヴァンスと州名プロヴァンスを混同してしまいそうなので、州名プロヴァンスをエクスと呼称することにします。南仏の人がエクサンプロヴァンスをエクスと呼ぶそうなのでマネです。

1430年代後半のプロヴァンスとその周囲

1435年のプロヴァンス周辺

ミラノ支配から解放されたサボイは本当の意味での独立を求めていた。サボイ伯カルロ1世はイスラム勢力と戦争を繰り返すオーストリアとの同盟を独立から数年のうちに破棄。プロヴァンスのラブコールにこたえる形で両国の関係は、ドーフィネ戦役の時の通行許可をきっかけに急速に改善されつつあった。
プロヴァンス伯シャルル4世は、フランスの脅威に対して周辺諸国との同盟で対抗しようと画策。アルマニャック伯ジェロー7世、モデナ公フランチェスコ1世には臣従を誓わせてあった。イングランド女王メアリー1世、神聖ローマ皇帝にしてバイエルン大公アルブレヒト3世とは十数年来の同盟関係にあった。このたびのサボイ伯カルロ1世との同盟はリヨンとエクスをドーフィネを迂回してつなげるためにも、フランスに対抗するためにもぜひとも成立させねばならない外交課題であったのだ。
1435年9月25日、新大陸探検から呼び戻されたルイスは、正式にサボイ伯カルロ1世の娘を妻として迎えることになった。これを機に近く攻守同盟が結ばれることになるだろう。

面白くないのはミラノからサボイを独立させたオーストリア大公フィリップ1世とプロヴァンスを虎視眈々と狙っていたフランス王アンリ2世だった。
オーストリアはサボイとの間にスイス、ミラノが壁としてあり軍を進め実力行使を行うことができない。かの国とこの両国とは既に不倶戴天の敵となっていたし、オーストリア大公の悪評は天を衝くがごとく上昇していた。また、ハンガリーがオスマンに大敗を喫し、イスラム勢力がオシエク-ソルノクのラインまで北上してきている状況で、とてもアルプスの西側に構っていられる状況ではなかった。東南国境に危機感を覚えたオーストリアはハンガリーに宣戦。予防占領を行おうとしたが、ボヘミアがハンガリー側に立ち参戦したことで戦況はいまだどちらにも転びそうな状況であった。

フランス王アンリ2世はイングランド、ブルゴーニュ、ミラノに対して通行許可を求める気はさらさらなかった。しかしオクシタニア(南仏)の生意気な男は近頃王を気取っているとも聞く。伯とはフランスの地方領主の称号でしかないだということをシャルル4世に教育してやるつもりだった。アンリ2世は、対イングランド戦で消耗した海軍をかき集めてノルマンディからプロヴァンスに隣接するフランス領ランドックに6000人もの兵力を海路輸送した。

  • この時点でフランスは国策を「国立銀行」にしていた。兵数ではとてもかなわぬとみたので開戦前にプロヴァンスの国策を「新世界探索」から「軍事演習」に変更、智謀家を解雇し上級大尉を雇用した。これにより、陸軍技術で1劣りながらも士気は圧倒的にプロヴァンス優勢となった。騎兵の士気攻撃力を重視し、プロヴァンスの師団編成を騎兵4歩兵6の編成とした。
    歩兵は常備軍ではないので現在プロヴァンスに配置しているのは6個連隊。開戦と同時に傭兵のメンアットアームズを4個連隊雇用する予定だ。同数の兵力であれば、地形効果と士気の差でランドックのフランス軍を迎え撃つことは十分可能だろう。
    実はこれ、以前プレイしたハンザの時の戦訓である。軍事演習を採用したブルゴーニュ軍は果てしなく強く、2倍の兵力をもってしてもこちらが敗走に追い込まれた。強さの原因を究明するべくブルゴーニュを偵察。確かに陸軍レベルはこちらが劣勢だが、こんなにつよいものか?グルジアだってオーストリア相手にもう少しましだったぞ・・・。と、みつけた。国策が「軍事演習」になっている。自分で使ってる時は良いが、相手が使っているときにこちらが使ってないとこんなに強烈だとはと、大変勉強になったので、今回のプロヴァンスプレイでは迷わず「新世界探検」から「軍事演習」に変更した。安定度のマイナスは確かに痛いが、プロヴァンスはいまだ小国なので回復も早い。

フランスの脅威(リヨン再征服戦争)1436~

侵攻

ランドックの戦い

1436年1月9日、ランドックのフランス軍がローム川を越えてアヴィニヨンに侵入した。フランスによるリヨン再征服戦争の始まりだった。フランス側につく諸侯はおらず、プロヴァンス側にはアルマニャック伯、リエージュの大司教、モデナ公、バイエルン大公が立ってフランスに宣戦した。
宣戦布告後に、イングランドとブルゴーニュそれにジェノヴァが戦費の援助を申し出てきた。
ローム川の戦いは渡河したフランス軍をプロヴァンス騎兵が急襲、士気の崩壊したフランス軍は損害は少なかったにもかかわらず算を乱してランドックへ敗走した。
目論見の当たったシャルル4世は追撃を命じランドックとエクスの間を何度か追い回したのちに、ジェロー7世の援軍も到着して、フランス軍を壊滅させることができた。ランドックでは1424年にジェロー7世と対戦したことがある。シャルル4世が轡を並べてそのことを話題にすると、ジェロー7世は人生というものは面白いものでございますなとだけ言って微笑した。

反撃

リヨンの戦い

北東から流れ込むローヌ川と、北から流れ込むソーヌ川がリヨンの南部で合流する。21世紀の現在ではフランス第二の都市圏であるリヨンもこの当時はソーヌ川西岸のリヨンの石畳の街並みが中心で街の象徴サン・ジャン大教会の建つフルヴィエールの丘がある。ローヌ川の東岸の近代的な建物が並ぶ地域やさらに東の新興の住宅地域はいまだ鬱蒼とした森や畑である。
紀元前43年に、ローマの植民市ルグドゥヌムとして建設され、2世紀にはガリアの中心都市としてさかえた。カロリング朝のもとに司教座がおかれ、後の何世紀もの間、大司教に支配され続けた。1245年に第1リヨン公会議、1274年には第2リヨン公会議がひらかれた。14世紀初めフランス王国に併合され、このころから絹織物の交易の一大中心地として発展した。
この物語(AAR)ではフランス、ブルゴーニュ、ミラノ、ドーフィネ、プロヴァンスと次々に所有者の変わるこの周辺の焦点ともいうべき係争地として度々その名前が登場する。

どこから入って来たものかフランス王の軍勢に包囲されているリヨンへ編成されたばかりの傭兵連隊と合流し、10000の陣容を整えたシャルル4世は向かった。ドーフィネを迂回してサボイ領を通って向かうために到着が大幅に遅れ、シャルル4世は間に合わず、リヨンは陥落してしまう。
もっとも、リヨン再征服を掲げて始めた戦争なのであるから、フランスがここに攻め込めないという考えが甘かったのだ。油断、慢心、シャルル4世の頭に浮かんだワードであった。
リヨンを占領したフランス軍はいつの間にか3000に増えていたが、リヨンに到着したシャルル4世はオックの精兵に突撃を命じた。ランドックでの勝利で士気の上がっているプロヴァンス軍は猛烈な勢いで襲いかかり、リヨンをわずか6日で解放してしまった。
シャルル4世はすぐさま北のリエージュを救援に向かったのだがまたもや援軍は間に合わず、10月27日にリエージュは降伏。フランスに完全併合されてしまった。

ヴァランシエンヌ追撃戦

北方戦線にシャルル4世の軍勢が参加し、シャンパーニュ(に進撃したところ何故か防衛施設が無く新大陸部族と見まごう。)は無防備都市を宣言し開城。12月13日、ヴェルマンドワでフランス軍11000を潰走させ、12月20日のヴェランシエンヌの追撃戦でフランス軍主力は壊滅。生誕祭前後にバイエルン軍がフランス領内に現れ都市の攻囲を始めて戦争の大勢は決まったかに見えた。
しかし、どこからやってくるのか、リヨンを3000のフランス軍が攻囲。軍を返して解囲に向かうが途中で散発的なフランス軍の抵抗にあい、リヨンに着いたころにはシャルル4世の軍勢は3000にまで減少していた。リヨン解囲に失敗したシャルル4世は、エクスとアヴィニヨンで傭兵を雇用。再度リヨン解囲を行いリヨン-サボイ間でフランス攻囲軍を壊滅させた。一安心しリヨンを包囲していると、ブルゴーニュ領をフランス軍が南下してくる。さてはブルゴーニュめと情報を見るが、ブルゴーニュはフランスに通行許可は出していない。悪なるかなフランス。

結末

フランスからの和平案

その後もフランスとの化かし合いは続き、このまま永遠に続くのではないかと思われた戦争が終わったのは開戦から3年が経過した1438年のことだった。
フランスが戦意を喪失したのは、バイエルンら同盟国軍によるフランス領の占領と各地で起きた一揆が理由で、プロヴァンス軍の活躍で勝利したとは言い難かったが、勝利は勝利である。
休戦協定を申し入れてきたフランスはリヨンに対する領有権を放棄した。
こちらからランドックの割譲を要求することも可能だったが、折角フランスにリヨンの領有権を放棄させても、ランドックを割譲させたのでは、また再びフランスに口実を与えることとなる。
近い将来のドーフィネ再征服戦争も見据えねばならない時期でもあるし、フランスとの衝突はなるべく避けて来るべき時を待つための時間を得る意味でも、周辺諸国の悪評の上昇を抑える上でも、今回はあえてフランスの申し出を受け入れる形で和睦することにした。

ルイス2世の即位

フランスとの3度目の戦いが終わって数カ月したころ、シャルル4世は病の床にあった。傍らには彼の最初の妻と太子のルイス、そして生まれたばかりの孫のシャルルを抱いた太子妃がいた。
シャルル4世はルイスに家督の相続することを書面にすることを要求し、よわよわしい手つきでそれにサインした。そしてルイスをに何事かを伝えようとしたのだが、声が細くて聞き取れなかった。ルイスが王の口元に耳を寄せた時には、王はすでに息をしていなかった。

即位イメージ

855年プロヴァンスの第一王朝ともいうべき、西フランク王ロタールの子シャルル(カール2世)の立てたプロヴァンス王国/Royaume de Provenceが成立、その後ブルゴーニュ公アルル伯ボゾンによってフランクからの独立を宣言、890年にボゾンの子ルイによって再編成された
1112年のバルセロナ公とプロヴァンス伯の娘の結婚から1245年までの期間を第二王朝とするならば、1246年からのアンジュー・カペー家の支配が第三王朝。1382年からのアンジュー・ヴァロワ家の支配が第四王朝で現行のブロワ家は5番目のプロヴァンス支配者の家系となる。
ルイスはプロヴァンス伯ルイス2世として家督を継いだが、フランス王との決別を内外に示すため、プロヴァンス王国の復活を宣言し、プロヴァンス王ルイス2世として即位した。

本格的なフランスとの対決、大陸領地を広げるイングランド、アラゴンを降し勢いに乗るカスティーリャ。プロヴァンスの周囲の有名シェフたちは、この新興国をどう料理するか手ぐすねを引いているようだった。

第二次ドーフィネ戦役 1439年~

開戦!

財産、仕事、そして家族を父から息子が引き継ぐ。現代社会においては保守的だ古い考えだと否定されがちであるが、世襲制階級制の中世欧州においては当然のことで、職人でも農民でも国王でも同じだった。むしろ富と権力をもつ者のみならず、一定の幸せを自分の血統に引き継がせて、未来永劫己のDNAに繁栄を享受させようとすること自体は生物として自然なことなのかもしれない。中世ヨーロッパ封建社会においては、プロヴァンス王国を継承したルイスには父の代からの事業を引き継ぐ義務があった。
1438年に終わったフランスによるリヨン再征服戦争は、フランスとプロヴァンスの間にミラノ、イングランド、ドーフィネ、ブルゴーニュの領地があり、フランスが大軍をプロヴァンスに送り込み辛いこと、プロヴァンスの同盟軍が活躍したことによりプロヴァンスの辛勝だった。
この戦争でとにもかくにも勝利できたのは僥倖だったが、その分ドーフィネ問題に手をつけることができずに天に召された先王シャルル4世の事業を成し遂げねばならなかった。幸いフランスは今回イングランドとの百年戦争再燃で介入してきそうもなかった。先の戦争が終わったばかりではあったが、今をおいてドーフィネを得る機会はないかもしれなかった。

プロヴァンス王ルイスは過去に3度父が軍をすすめた道を北上した。1439年11月22日、国境に到着するタイミングでドーフィネに使者を送り宣戦。トスカナとブルゴーニュがドーフィネについてプロヴァンスに宣戦した。トスカナはイタリアでミラノに代わって主導権を握らんと勢いに乗る国。ブルゴーニュは神聖ローマ帝国西端の強国、プロヴァンスにとっては遠い昔の宗主国でもある。プロヴァンス側にはアルマニャック、サボイ、モデナが同盟を履行し参戦。兵力が不足しそうだが、傭兵で対応するしかなさそうだった。

クリーク族が!

明けて1440年1月6日、ドーフィネ攻囲を続けるルイスに良くない知らせが届いた。クリーク族がマスコギー植民地へ侵攻。クリーク族は15000の大軍で攻撃をかけ守備隊3000は壊滅したという。
かの部族の精強さと残忍さはルイスの良く知るところであり、守備隊と植民者の行く末を考えると、クリーク族との関係悪化の責任が自身にあると考え、負い目を感じてきたルイスは責任を感じるところ大であった。
新大陸救援のためにもドーフィネ攻囲に時間をかけてはいられなかった。ルイスはプロヴァンス軍に総攻撃を命じることにした。

しばらく後のことになるが、クリーク族はマスコギーを占領し、優勢であったにもかかわらず、何故か痛み分けの申し出をしてくる。ショーニー族やチェロキー族の侵攻があったのか。何にしろ新大陸での戦争はルイスが何の対策もできないでいるうちに決着がついてしまうのだった。

リヨン解囲戦

プロヴァンス軍の士気の高さはおそらく近隣一であろう。(軍事演習、ジョルダン・ド・レモンディ上級大尉☆☆☆+0.15、最後の馬上試合+1.0)野戦でも攻城戦でも勝利はプロヴァンスのものだった。しかし、勝利は重ねるのだが損害が多い。劣勢でも兵士が踏ん張ってしまうので損害が多くなるのだろうか、勝てば勝つほど味方の損害が増して行き、人的資源がものすごい勢いで減って行く。あまり長い戦争は行えない。それでも戦争をここでやめるわけには行かなかった。
エクスでプロヴァンス軍の兵站を統括するジョルダン・ド・リベルタは、この状況を一時的にでも打開するために、借入による傭兵の雇用を断行した。都市攻囲を行う歩兵連隊には兵員の補充が可能であるので、都市の攻囲を正規兵に行わせ、傭兵を王の主力軍に回す。これで兵力をブルゴーニュ主力となんとか同数以上に持って行って決戦を挑むことができるかもしれなかった。

1441年7月4日、リヨン解囲戦において勝利を得たルイスだったが、その顔は勝者のそれではなかった。揮下の連隊長からの損害報告が集まるに従って、プロヴァンス軍の損害がブルゴーニュ軍の10倍近いことが判明したのだ。ドーフィネを併合することに成功したとはいえ、こんな戦闘を続けていてこの戦争勝てるのだろうか。

1442年2月16日、プロヴァンスの国庫が再び危機的状況に陥った。ジョルダン・ド・リベルタは2度目の借入を決意し、さらに130ダカットを借り入れる旨、戦地のルイス2世に報告した。報告を受けたルイスは、たとえこの戦争に勝利してもプロヴァンスにとっては良いことはないのではないか?と自問した。しかも今回の借入はいわば借りまわしであって、借金の上積みでしかない。もちろん傭兵の雇用は行われ、戦地へ戦力が送られてくることは疑いないのだが・・・。
しかしここであきらめるわけにはいかない。車両保険に入ってない新車を自損事で廃車にしてしまうようなものだ、とは15世紀の人ルイスは思うまいが、ここであきらめたら何も得るものが無くすでに借りてしまっている分の借金だけが残る。小国の元首とは零細企業の社長のようなものなのかもしれなかった。

ナンシー攻囲の図ってあれれ?!ランドックがイングランド領に・・・

1442年の夏、ナンシー。ドイツ語でナンツィヒという名をもつこの町は15世紀に入ってからガラス工芸が有名になってきたブルゴーニュ領ロレーヌの首府である。(首府がナンシーと表記されるなら、プロヴィンス名もロレーヌにしてほしいところだ。ロートリンゲンにするならナンツィヒとプロヴィンス名を。もしや、仏独混濁の表記がこの地の複雑な事情を演出しているのか?)後にアールヌーボーの街となる芸術が芽吹いたばかりのこの街を攻囲しているプロヴァンス王ルイス2世の顔つきに甘さは一切見えない。落城寸前のナンシーからは、ブルゴーニュ公マリー1世からの度重なる和平の訴えが連日のように届いていたが、ルイスは一切返事をしていなかった。マリー1世は、ブルゴーニュ以外全ての領地を割譲するという条件さえ提示してきたのだが、ルイスは首を縦に振らなかった。
急な領土拡張が周辺諸国からどのような目で見られるかはミラノ、そして今回のブルゴーニュの例から見ても明らかであり、今のプロヴァンスにとっては負担以外の何物でもない。
それよりはヌーヴェルとロートリンゲンを解放し友好国を増やしておくほうが得策か。小国をいくら作っても周辺の大国を太らせるだけになるか。

最終的にルイスの考えていた和平案を飲ませるには、ロートリンゲンの完全占領が必要であった。
ナンシー落城後、ルイスが提示した和平案は、ヌーヴェルとロートリンゲンを独立させ、フランンシュコンテを割譲。カレーとアントウェルペン、そしてブルゴーニュ以外全ての領有権を放棄させるという内容だった。


「属州がいっぱい」と銘打って始めたこの物語風リポートだが、新大陸への足がかりを早々に得たというのに、プロヴァンスの周りは強豪がひしめいていて、パソコン画面に新大陸を表示させて探検ばかりしていては、危なくて仕方ない。1483年まではマスコギーが中核化しないので植民事業は45年後から。征服事業には現時点の陸軍技術レベルでは思ったよりも戦力が必要だ。新大陸に戦力を回すには本国周辺の切り取りと「大陸軍」「国民皆兵」で常備軍の増強か。しかし小さな国では税収を得られず交易収入がメインの収入になる。「合理的商慣行」なしで経済戦争を戦えるとも思えず、資金難を抱えたまま本国周辺の切り取りをしつつ新大陸の征服などできようはずもない。なるほど、国土の統一と中央集権化なくして新大陸はないということなのか。となると、フランスとは対決するしかないのか。クリークの征服はポルトガル、カスティーリャ、イングランドの新大陸到達前には行いたいのだが、「リロードがいっぱい」にしないためにもここは少しプロヴァンス本土の安全確保に集中したほうがよさそうだ。との判断で想定外のブルゴーニュ占領戦を行ったわけだが、これが吉とでるか凶と出るのか。答えは歴史の先にあるはずである。

 

à suivre


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Last-modified: 2010-06-11 (金) 15:08:58