水の都の物語

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当代のアレクサンドロス大王・ラヨシュ二世
 

ハンガリーはじまったな

ルターの檄からはじまったプロテスタント運動は、いまやヨーロッパを席巻しました。
オーストリアやボヘミアといった南ドイツ諸侯は新教国となります。
ヴェネツィア共和国やフィレンツェ共和国も新教国です。
イベリア半島のアラゴンも新教国となり、地中海はほぼ新教国の海となりました。
旧教国の守護者は神聖ローマ帝国、ローマ法王庁を支配するブルゴーニュのほか、フランスやイタリア、スペインやポルトガルなどですが、領内にはプロテスタントや改革派の勢力が入り混じり、宗教改革に苦しめられています。

そんななか、1548年、重要な出来事が起こりました。

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十六世紀前半、ハンガリーはヴェネツィアとともにトルコを征服し、第二のアレクサンドロス帝国を築く
 

ハンガリーの宗教改革です。

ハンガリー王国は長らくヴェネツィア共和国とともに、陸軍のハンガリー、海軍のヴェネツィアと分担して異教徒のオスマントルコと戦ってきました。
とくに1516年に即位したハンガリー国王ラヨシュ二世は、オスマントルコの政府崩壊にともなって大遠征を敢行し、コンスタンチノープルを解放、アナトリア半島まで進撃し、「当代のアレクサンダー大王」と讃えられました。

そのハンガリーが新教国に改宗し、領内のカトリック教徒や正教徒、改革派などの異端者の弾圧を開始したことは、東地中海世界がすべて新教側のものになったことを意味します。
ヴェネツィアの十人委員会はこの朗報に欣喜雀躍し、さっそくハンガリー国王に大使を派遣し、友好を改善しました。

さらば、オスマントルコ

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オスマントルコの崩壊は、バルカン半島の勢力地図を塗り替えた
 

ハンガリーの大遠征の前にオスマン帝国は最後的に崩壊しましたが、オスマン帝国の崩壊ははやくも1520年代にはじまっていました。
ヴェネツィアとの三十年戦争によるオスマン帝国の衰微は著しく、戦後、帝国域内では反乱が相次ぎます。とくにバルカン半島のギリシャ系住民は、スルタンの支配からいまこそ独立しようと武器をとってパルチザン活動を活発に行ないました。
ヨーロッパ諸国はおもにギリシャでおこったこの反トルコ反乱を陰に陽に支援します。
ローマ教皇は第八次十字軍の檄を飛ばし、フランスやブルゴーニュの過激で思慮浅い熱狂的な騎士たちは、供回りを連れて、義勇軍としてギリシャに旅立ちました。
地中海の制海権を握っていたヴェネツィアは、ここに目をつけ、マルセイユからギリシャに向かう航路を独占し、船賃をとり、通訳や案内役などのガイドをつけた「十字軍事業」に勤しみます。
彼らの商売根性はこんなところにも発揮されたのです。

さらにこの十字軍運動は拡大します。

ハンガリー王国(その頃はまだ旧教国でした)はカトリック世界の守護者として、トルコを粉砕するべくローマ教皇と同盟、トルコに宣戦布告します。
トルコにはこれを防ぐ力はなく、ハンガリー軍はバルカン半島のトルコ領を占領し、スルタンの軍勢をアナトリア半島に追い落としました。
ヴェネツィアはその間、情勢の推移をじっと見守っています。

そして1531年、バルカン情勢に決定的な転換点が起こります。
ギリシャ系住民によるビザンツ帝国の復興です。
アテネ、アクィラ、モレアといった現在のギリシャ領と、エーゲ海やアドリア海の諸島でパルチザンは長年トルコの支配を覆してきましたが、1531年、ついに独立を宣言します。

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ビザンツ帝国が復活する。しかしこの帝国は、貴族たちの内紛と外冦によって短命に終わるであろう
 

ヴェネツィアの十人委員会は、ただちに会議を招集します。

「ビザンツ帝国が復興した。諸君、これをどう考える。」

「トルコの崩壊はもはや避けられないだろう。イスラム勢力が東へ退潮することは歓迎できる。」

「だが、バルカンのトルコ領を継承したハンガリーはカトリックで、ビザンツ帝国はギリシャ正教、そしてわれわれはプロテスタントだ。宗教的な対立があることには変わりはない。」

「では、どうすればいい?」

「わたしの希望としては、東地中海の貿易をわれわれヴェネツィアが独占するためには、バルカン半島はプロテスタント勢力で占められることが望ましい。そうすればカトリックのジェノヴァ共和国も東地中海にはおいそれと手をだせなくなるはずだ。」

「それは妙案。しかし、いかにして?」

「おりしもローマの教皇が第八次十字軍を呼号している。この十字軍を、かつてラテン帝国を築いた第二次十字軍のときのようなやり方で利用してはどうだろう。つまり復古したビザンツ帝国を十字軍の名前を借りて攻撃し、これを乗っ取ってしまうのだ。」

「ははん、なるほど。」

「ハンガリーはどうする?」

「彼らは敵にするには巨大だし、味方にする方がいい。トルコという共通の敵もいるからな。オーストリアとともにハンガリー国王を懐柔し、彼を転向させ、プロテスタントに改宗させるのだ。そうすれば、バルカン半島はプロテスタントで占められることになる。」

「うまくいくかな。」

「うまくやるのさ。」

という具合に、協議はまとまりました。あとは実行するだけです。

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ヴェネツィアの背信によって、ビザンツ帝国は崩壊した。
 

ヴェネツィアはまず十字軍の名を騙らって、ビザンツ帝国に宣戦を布告します。
これには旧教国だけではなく、新教国も驚かせました。

彼らは同じキリスト教徒を攻撃するのか?

それはいかがなものか?

ところがヴェネツィア共和国はそんな批判は馬耳東風、気にしません。
彼らの海軍はアドリア海を颯爽と横切ってギリシャに上陸を開始します。
建国されたばかりのビザンツ帝国は、領内の貴族たちの内紛が激しく、政治的統一が保たれていませんでした。
ヴェネツィアはその間隙をつき、切り崩し工作を行い、ビザンツ貴族の弱い環を味方につけます。
1531年12月、ビザンツ帝国は崩壊し、モレア公国を残してヴェネツィアに吸収されてしまいました。
さらにモレアも、のちにヴェネツィアに外交併合されてしまいます。
バルカン半島南端は、こうしてヴェネツィアのものとなったのです。 

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十六世紀中ごろのバルカンの政治地図
 

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Last-modified: 2009-07-31 (金) 06:40:00