世界の中心はアストラハン?!

世界の中心はアストラハン

神の啓示によってオスマンを凌駕する陸軍を建設することとなり(そのすぐ前には農村に兵士を返せと言っておられたのだが)財務大臣の顔色をうかがいながら陸軍の大増強を断行。
とはいってもとても凌駕できるものではない。騎兵2万、歩兵1万をそろえるのがやっとだった。見えている範囲のオスマン軍とやっと同程度といったところ。
しかし、なぜまたこんなに金があるのだ?そう思い交易マップを見る。なんと!全世界はアストラハンを交易中心地にしているではないか!!この3枚の写メは緑一色。なんということだ。交易の値6339.7、自国の収入443.9!ジェノヴァの本拠地リーグーリアでさえ255.3しかない。ってあれれ??ヴェネチアとノブゴロドが無いぞ。これはいったい何が起きたのだろう。ヴェネチアはミラノに滅ぼされているが、まさか交易中心地を破壊したのだろうか。ノブゴロドも確認するが、ヤハリ交易中心地が無い。ヴェネチア、ノブゴロドの交易中心地の消失でこんなになるものだろうか。重商共和制に変更できれば面白いことになりそうだが、今のところまったく無理。とりあえずセーブして追々原因の究明をしようと思う。

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ギオルギ7世の治世

□□□ 第2次対オスマン十字軍(1470~74)□□□

陸軍の大増強を終えたころ、オスマンはイングランドと戦争をしていた。イングランドがアルバニアからギリシャへと侵攻したのか、オスマンがイングランドの領するアルバニアに攻め込んだのかは定かではないが、戦況はイングランド有利。
早速攻め込もう!今回は勝てる自信がある。騎兵2万は2個軍を各1万で編成。第一軍はツヴィアディ・ヴァクナッシュ将軍(6/6/6/1)第二軍はロストム・ミルザ・シャラシッツェ将軍(6/6/5/0)、そして第3軍は20年戦争の英雄ステファノツ・チュケイツェ将軍(3/4/6/1)国王ギオルギ7世も能力はかなりよい(3/6/0/1)のだが、各将軍がすごすぎる。
オーストリア、リトアニア、アルメニア、属国のイスラム国を率いての十字軍というのもなんだが、イングランドとの戦いで海軍を失っているオスマンなぞ、海峡封鎖でやれるはず。開戦と同時にシワスとピチュニアへ軍を送る。ピチュニアからさらにプルサへ。これでオスマンは3分される。海峡の北はオーストリアとイングランド、南はグルジアとその衛星国で攻撃。
結果からいうと楽勝であった。詳細は書くまでもない。イングランド、オーストリア、リトアニア、ジェノヴァ、そしてグルジアに同時に攻め込まれたオスマンに勝ち目はなかった。

グルジアは高騰した厭戦感情により農民と異教徒そしてナショナリストしばらくの間戦うこととなった。

□□□ メンセテ-シリア介入戦争(1479~82)□□□

旧オスマン領からの独立を果たした国々が争っている。国防上大国に支配されては困る国には保護を与えているのだが、4プロヴィンスを有するシリアがメンセテに宣戦。
3ヶ月後にはシリア全土を攻囲。戦後は属国として王国の辺境を守備させることにするつもりだったのだが、コストが102かかることが判明。アレッポを割譲させて次の機会を待つ。

□□□ 第二次アルメニア防衛戦争(1480~81)□□□

大国ペルシャがアルメニアを攻めた。シリア戦線から余剰兵力を抽出しシャリゾールへ向かわせた。シャリゾールを解囲しハマダンへ逆侵攻。同プロヴィンスを占領した時点で痛み分けとした。

□□□ 対シリア十字軍(1488~89)□□□

シリアとの休戦協定のあけた半年後の1488年3月5日、グルジア軍は十字架を掲げシリア領内へなだれ込んだ。シリアへの宣戦布告によってキプチャク汗国とナジェドとも戦争状態に入っており、シリア征服に時間をかけるわけにはいかなかった。
88年中にシリアを降し属国としたグルジアは戦力のほとんどを北へ向けた。この機会にキプチャク汗国の黒海沿岸を奪おうという腹積もりだ。
ジェノヴァがアクイレイアと戦争状態に入ったという知らせがはいった。がナポリがこちら側で参戦しているので名目上参戦しておけば大丈夫だろう。

ギオルギ7世Ⅱの治世

1489年6月30日ギオルギ6世が逝去しギオルギ7世が即位。(3/3/3)何たる不運といわれたほどの暗愚な王で戦争を続けるのはプレイヤーの厭戦感情が高まるのでキプチャク汗国と和平。
カッファをジェノヴァに戻し、グルジアはコーバンを得た。

□□□ オーストリア-イングランド戦争(1489~)□□□

ギリシャの西半分を支配するイングランドに対しオーストリアが宣戦。オーストリアとの同盟の最後の利用価値が対イングランドのものだが、間にオスマンが挟まっていて陸路で駆けつけることができない。ためしに通行許可を求めてみたが拒絶。軍の到着を待ってオスマンに宣戦することにした。
オーストリアは参戦を拒否。同盟は霧散したがイングランドとは戦争状態のままだ。英領ギリシアはすべてオーストリアが占領中であるため、オスマンの占領を急ぐ。藩屏シリアがマムルーク朝に押されている。
1492年1月1日オスマンセルビア連合軍を降し、エディルネ一か所にオスマンを押し込めた。
写メのように

□□□ 第4回対オスマン十字軍(1499~1502)□□□

オスマンとの休戦協定が切れた1499年にグルジアがオスマンを滅ぼした戦争。この戦争にはカラマン、マムルーク朝が参加したが、マムルーク朝の戦意は乏しく開戦後まもなくのイラク・アラブの戦いで敗れるや休戦を申し出た。エディルネはギリシャ、ブルガリアのナショナリストの巣窟と化していたため、グルジアは戦力の大半を投入することになったが、1500年3月にエディルネの開城を果たし、ここにオスマンは滅亡した。
カラマンはその後も抵抗を続けたが、1502年1月に降伏。国土の半分を割譲した。
同時期にセルビアがイギリス(イングランドから国名変更)からの独立を果たしたが、勢いに乗るグルジアに討たれコソボ領有を許されたものの、グルジアの属国となった。

神の啓示はいつも無茶振りである。今回の啓示では「オーストリアへの防御」オーストリア陸軍を超える数の陸軍を整備しろと仰せだ。
現時点でオーストリア陸軍の総数は64544名。これは明、カスティーリャ、フランスに継ぐ世界第4位。我がグルジアはというと総数38000名で第10位。現状でさえこの戦力に維持で超インフレ化がすすんでおり財政的にはかなり厳しいものがある。
しかしながら、バルカン半島の支配権をめぐっていずれは雌雄を決せせねばならない相手である。

29.0ある悪評を減らさないことにはどうにもならない。しばらくは戦争なぞしたくもないのだが、ジェノヴァがミラノともめてどうにもならない。しかし、今のところ商人を派遣しなくてもジェノヴァが勝手に交易拠点をくれるため、ジェノヴァとの関係を悪化させるのはおいしくはない。
そうこうするうちに1505年ついに宗教改革ののろしがボヘミアで上がった。

ギオルギ7世Ⅲの治世

■■■ 奇妙な現象 ■■■

すでにお気づきかもしれないが、グルジア王に3人目のギオルギ7世が即位。どうもおかしなことになっている。この程度のバグはご愛嬌といったところだろうか。
ところで、グルジアをジョージアと読めというからには、ギオルギもジョージと読むべきなのだろうか。

□□□ サボイ-ジェノヴァ戦争(1507~09)□□□

グルジアにとって最大の転機になる戦争。ジェノヴァとの同盟を履行し初の渡洋作戦を行ったことも大きな変化ではあったが、グルジアの行く末にさらには全世界に計り知れない影響を与えた事件が起きた。ジェノヴァの陥落によるサボイへの併合それに伴う通商同盟からの除名である。
これにより交易地図は群雄割拠状態となり、グルジアの交易収入は激減した。
こうなるとサボイを完全征服しジェノヴァを取り返すよりない。グルジアはさらなる派兵を行い、最終的には26000の兵力をサボイへ派兵しリグーリアを割譲させた。

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戦後猛烈な不況とインフレが(おそらく)世界中を覆い尽くした。
世界中で交易中心地が作られリグーリアによる富の独占は失われた。
アストラハン、ジェノヴァに対しては商人を送り込み、新たにトラキアに交易中心地を設置。交易収入を戦前の30%まで回復することに成功したが、インフレは右肩上がりだった。

□□□ キプチャク汗国のジハードとポーランドによる侵略(1513~15)□□□

グルジアは徴兵法を可決、戦力の補充に総力を挙げた。
バルカン戦線では緒戦に12000の騎兵を失う失態をみせたグルジアだったが、海峡地域で傭兵をあつめ、カルトロス・ガバシュヴィリ将軍をもってこれを指揮させてポーランド軍にあたらせた。
意外だったのはギオルギ7世3世(w)の活躍である。彼の指揮した騎兵軍は各地でキプチャク汗国軍を殲滅。グルジアの窮地をすくったのである。

□□□ 対オーストリア祖国防衛戦争(1513~)□□□

突然のオーストリアの侵略であった。グルジアは優勢に進んだポーランド、キプチャク、ザポーロージェとの戦いをさして有利でもない講和条件で成立させると、あるものは黒海南岸を走り、あるものは海軍に輸送されてトラキアへ向かった。
トラキアは国の焦点に指定されてるのだ。万が一陥落した場合のダメージは大きい。

1518年5月トラキア陥落目前にオーストリアから和平提案があり、シリストラ、ブルガリア、セルビア、オルテニア、バナートの割譲で侵攻をやめると言う。
また二十年戦争のように粘れるだろうか。厭戦感情が二桁に達している今それは難しかろう。国内で暴動が起きてもオーストリア正面から戦力を割くわけにもいかず、じり貧に陥って滅亡するしかない。ここは臥薪嘗胆と行くことにした。

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□□□ ギオルギ7世3世の戴冠 □□□

1529年8月12日サルハン征伐から副都(国の焦点)コンスタンティノポリスへ帰還したギオルギ7世3世はナクソスに生き延びているビザンティン共和国(旧帝国)の代表団から東ローマ帝国皇帝位を譲り受けた。それ自体はたしかにショーでしかなかったのだが、グルジアはこの時から帝政へと正式に移行した。

コンスタンティン1世Ⅱの治世

■■■ 朕は初めから皇帝であったのだ ■■■

1531年8月1日コンスタンティン1世が戴冠。コンスタンティノープルでコンスタンティン1世が戴冠というのもなにかこぞばゆいが、ともあれ二世皇帝の誕生である。前のコンスタンティヌス1世はグルジア王国の王、このコンスタンティヌス1世は東ローマ皇帝・・・ってあれ・・・それもまずいな。バグラティオニ朝ビザンティン帝国のコンスタンティン1世とする。
名前がどうも一めぐりした感がある。継承者はロストム・ミルザだし。
とにもかくにも皇帝コンスタンティン1世はコンスタンティノープルへの遷都を宣言した。
翌年、「愛された継承者の死」が訪れた。ロストム・ミルザは謎の熱病で命を落とした。皇帝は「あの娘に慰めを求めることにしよう」と下半身も皇帝となった。
それで生まれたのがヴァクタング(ザクタンクではない)なのだがこれが愚鈍。はてさて、西欧からかなり遅れた技術レベルをとりもどすべく西欧化を目指していたのだが、当分は西欧化の指導者たる皇帝は望めそうもない。
ザクタンクの王位継承はやはり物議をかもしだした。コンスタンティン1世が1535年に33歳で急死すると、地方に王位僭称者が出現一時は帝国内が騒然としたが、もはやルーチン化した摂政評議会が丸く収め、次期皇帝はザクタンクもといヴァクタングが継承すること、成人の日まで摂政評議会が帝国を運営することが取り決められた。
とくに何の業績も残さなかったことから退屈王と呼ばれたコンスタンティン1世Ⅱは、「朕は初めから皇帝であった」と言ったが、ヴァクタングは皇帝の子として生まれながらあと数年は皇帝ではない。退屈王の子は特筆すべき業績が無かったというだけで異常王呼ばわりされてしまう。

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アレクサンダー1世の治世

ともあれ
帝政を施いてから、文化の同化が起るようになったり、周辺諸国からいじめられなくなったりと、皇帝の名前以外はまずまず満足である。
皇帝の名前と言えば、現皇帝はアレクサンダー1世だが、これだけは英語読みなんだ。アレクサンドルとは呼ばない。統一してほしいね。

成人したアレクサンダーもさして業績を残さないまま早世。
第二次キプチャク汗国十字軍を起こすも、アストラハンでノガイを撃退するも戦死してしまったことが唯一歴史書に残るかれの事績であった。

摂政評議会による統治

□□□ フランスによる第三次カレー再征服戦争(1564~67)□□□

フランスによるブルゴーニュとの3度目の戦争。帝国はフランスとの同盟を尊守し、せっかく友好関係を作ったポーランドと戦争に突入してしまった。
戦闘は一方的だった。戦争終盤のピチュニアの戦いでは、序盤の反省から兵力を結集して戦ったのだが、38177対19031で壊滅的打撃を受けて敗退してしまう。
戦闘開始直後はポーランド軍は8000足らずであったはずなのだが、攻めきれずに援軍が到着し、ぐるりと黒海を一周してきたポーランド軍にまさかの敗退である。
陸軍レベル7差はこんなにも痛いものなのかと思い知った。どうあってもグルジアが生き残るには西欧化が必要だ。
グルジアが大敗北を喫した直後、フランスとブルゴーニュの和平が成立。ポーランド軍はグルジアから去って行った。

■■■ 西欧化 ■■■

1573年5月、トルニケ・カバシュヴィリが法の精神を表した。「政体比較検討」「政治への影響」「三権分立」誰かのパクリのようにも思えるが、とにもかくにも安定度が+3になった。名著といえよう。
結局皇帝ではなく摂政評議会によって西欧化が実行に移された。短命な皇帝が続くグルジア帝政ははやくも暗雲が立ち込めてきたかに見えた。
西欧化の効果はものすごい。技術投資の隣国ボーナスが100のものまである。

■■■ 貴族共和制への移行 ■■■

1573年11月22日、グルジア帝国摂政評議会は元老院と名称を変え、幼帝アンナ1世を即位させ、皇帝権力を全面的に元老院へ移譲する勅令にサインさせた。
アンナは初代グルジア大公として君臨すれども統治せずに数日間のその任期を終えた。

第一回元老院選挙において、ぺブール・ロバキツェ・バレオロゴス(3/7/6)が選出された。外交官出身の皇族だが、その軍事的才能も期待されている。

グルジア元老院はモスクワとの同盟を実現。各分野の技術革新も今までとは全く次元を異にする成長ぶりだ。安定度が+に回復したら貨幣鋳造官を雇用してインフレ対策を進めよう。


添付ファイル: filegeo1531.jpg 279件 [詳細] filegeo1518.jpg 294件 [詳細] filegeo1509.jpg 297件 [詳細] filegeo_sekachu.jpg 231件 [詳細]

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Last-modified: 2010-05-15 (土) 15:33:30 (3351d)