帝国国策方針

  • 基本的に文明国には宣戦しない。
    特に明には手を出さない。明、朝鮮、満州の中核州を獲得しても戦争のリスクを増すだけである。
    上記の国々とは婚姻関係を結び親交を演出しつつ、同盟を結ばない。是非とも明にはわが国を独立保証して頂きたい。無益な戦争に巻き込まれて散財するのは避けたいからだ。
    初期は商人派遣と反乱鎮圧くらいしかやることがないため、2つ目のナショナル・イデアとして新世界探検を得るまでは基本暇である。この時期はサラッと進めることにしよう。
  • 技術政策
    なお、政策スライダーは中央集権に寄せておく。ゆくゆくは技術グループをラテンにしたいが、早期に革新主義に寄せると宣教師・入植者が足りなくなるため、革新主義に寄せるのは後回しとする。

  Httt西欧化条件(まずは中国→イスラム教技術グループ)
  中央集権と地方分権が-1より小さい
  革新主義と保守主義が-2より小さい
  安定3以上
  元首の行政能力6以上

  • 植民プレイ
    日本を太陽の沈まない世界帝国にするためには、なにしろ金が必要である。初期配置の艦艇と陸上兵力を大切にする。扶養限界一杯まで軍拡を行わず、また50%の維持費でできる限り支出を切り詰め蓄財に励む。兵たちよ、半給ですまん。
    後日、入植費用はうなぎ上りに増大していくから、最初の1世紀半はひたすら蓄財あるのみ。

サハリン、クリル、台湾など可視範囲にある空白地への入植は進めるが、入植者の供給源は沿岸部の交易中心地による年+0.1効果のみ。よって入植は遅々とした歩みである。

後小松 1382-1407の時代

1399年、私は22歳の後小松天皇になっていた。いわゆる転生である。元々、この体に宿っていた魂がどこに行ったのかは、考えると負けな気がするので考えないこととする。ちなみに、私は歴代第100代の天皇だ。

ゲーム開始直後に始めるのは沖縄侵攻である。明が沖縄の独立保障をする前に宣戦、占領後併合した。
確かに「文明国には宣戦しない」と宣言したが、沖縄は日本文化だし、未回収の日本を回収しただけですので悪しからず。

後小松 1382-1407の時代

1400年 沖縄の異教徒たちが真の信仰に改宗しました。
1403年 蝦夷地の異教徒たちが真の信仰に改宗しました。

史実では1433年に崩御した後小松だったが、この世界では1407年、30代になったばかりで流行り病にかかって私は二度目の死を迎えた。
私の業績は、蝦夷のレベル1防御施設を整え、宣教師を派遣して蝦夷と沖縄に神道を布教しただけだ。史実から一歩も拡大しないままでこの世を去るのは残念だ。

摂政評議会 1407-1419の時代

サハリン獲得。

称光1世 1419-1475年の時代

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1419年、私は元服したばかりの称光1世に転生していた。
後小松から称光1世までの空位の12年間で、わが国は北方に固有の領土を獲得、日本列島は南北に長くなっていた。これでオハの油田は日本のものだ。将来の禍根をわずかに取り除けたようだ。

1420年、ついに一個目のナショナル・イデア「植民地探検」を獲得。もはや入植者不足は過去のものとなった。内政は優秀な★5クラスのアドバイザーを雇用して順調である。安定度は+3、積み上げた財貨は998ダカットに達している。

1424年、のちの間宮海峡を哨戒していたわが国のガレー船は大陸北方にデレンを発見した。直ちに入植はしない。まずは台湾-スールーの順に入植し、かの地の中核州化を急ぐ。
最寄の中核州を基点に、補給線の届く範囲のプロヴィンスにしか入植できないためだ。南方に中核州を獲得し、将来のオーストラリア植民に備えるのだ。

1419年 クリル獲得。
1430年 台湾獲得。
1440年 スールー獲得。

「国の焦点」の補正効果、植民地成長速度+50%を活用し、最低限のコストで植民地を次々と建設していった。

1451年 デレン獲得。
1464年 ポッセ獲得。
1468年 サハリン・オウラ獲得。

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1473年の日本の雄姿をみよ。
シベリアの日本領も次第に見栄えのする面積を獲得している。国境を接する満州は脅威を感じているようだが、我々に対してアクションは起こしていない。どうかこのままこっちを見ないでね。そして明は、たったの37個連隊しか擁しないわが国のか弱い細腕が目障りらしい。ああ、かの大国に相応しい雅量はどこにいったのでしょう? 貿易摩擦を理由に日本商人をCoTから排除とかひどいじゃないですか。眠れる獅子は寝ていてくださいおねがいします。
 
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1473年の欧州。

インド亜大陸はデカンが統一、北米ではチェロキーが巨大化していた。この世界ではプランタジネット朝が元気いっぱいらしく、フランスのイングランド領は健在である。カスティーリャはモロッコ、アルジェ、マムルーク朝を駆逐し北アフリカ一帯を領土としている。他人事ながら、カスティーリャによるムスリムのマネジメントが心配である。

50年前に入植したクリルはわが国の中核州となった。サハリンにシベリア、台湾を手中に収め、わが国の威容は完全に二次大戦前の日本を越えた。だがまだだ。俺たちの戦いはこれからだ! と、調査兵団式に握りしめた拳を胸に叩きつけた瞬間、私の世界は暗転して三度目の人生が終了した。

ちなみに理由は知らないがセーブ&ロードが少ないと、君主もアドバイザーも長生きになる傾向がある。称光1世の長寿の秘訣である。

崇神 1475-1495年の時代

1479年 アルバジンスキー、ウズコエ獲得。
1489年 ネルチンスキー獲得。
1490年 メナド獲得。

順調に北方領土拡大中。
崇神はあまりにも皇太子期間が長かったせいか、先代に比べて短い治世であった。四度目の人生が終了した。

 

称光 1495年-

1498年 ジュクジュル獲得。
1507年 パプア獲得。
1513年 カガヤン、グアム獲得。

 
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スラウェシ島に勢力を拡大した日本。この島の原住民はけっこう強い。
 
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シベリアは人口希薄で課税価値も低い。金鉱が見つかることが多いのが救い。
 
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カスティーリャ大躍進の図。

カスティーリャはポルトガルを併合し、アゾレス諸島の所有権も移動した。これでアゾレス諸島のカスティーリャ中核州化が遅れ、彼らの北米大陸進出も遅れるとみられる。
大国スウェーデン、小粒になったリトアニア、所在不明のフランス、眺めていて飽きません。アジアでは、CoTのあるマラッカがアチェの統治下に入った様子。いけませんね、交易国家に必要なのは領域の安定ですよ。

1517年、交易レベル7、統治レベル9に到達。新しいナショナル・イデア、つまり国策スロットを獲得する条件が整った。交易レベル7は、国策「新世界の探索」の入手条件である。これで征服者や探検家を世界中に派遣し、思うがままに土地を手に入れることができる。
とはいえ、財政的には心配があった。一時は1000ダカットを越えていた国庫の財貨は470ダカットにまで減少していた。陸上兵力37個連隊、艦艇13隻、維持費は50%がデフォルトなのだが、植民地の維持に多額の出費が続いていたためだ。

 

添付ファイル: fileworld1503_2.png 46件 [詳細] fileasia1503.png 36件 [詳細] filesiberia1503.png 38件 [詳細] fileworld1503.png 12件 [詳細] fileworld1517.png 14件 [詳細] filesiberia1517.png 13件 [詳細] fileasia1517.png 14件 [詳細] fileeurope1473.png 34件 [詳細] filejapan1473.png 34件 [詳細] filejapan1420.png 37件 [詳細]

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Last-modified: 2019-02-26 (火) 21:31:15