聖ヨハネ騎士団の最貧前線

かつては十字軍の華としてエルサレム防衛の任についていた「エルサレムの聖ヨハネ救護騎士修道会」。
しかしかつての栄華はどこへやら、その実態はEU3開始時ではロードス島に押し込まれた超弱小国家。
そんな騎士団でも、せめてギリシャ文化地域ぐらいは回収したい、もういちどCKしたい、オスマン倒したい。
この苦闘の最貧前線、あなたもIF歴史の目撃者となってください。

環境

  • 使用国:騎士団
  • 1453年開始
  • NA ver2.2 +地図色変更MOD

騎士団広報室

  • なんというトルコ。お疲れさまでした。自分もいい加減メクレンブルクのAARを書こうかと思っているのですが4亀が琉球AARを出してしまったので書く意義が……。 -- メクレン坊や 2008-03-20 (木) 01:47:19
  • かなりどうしようもない国からよくぞここまで。ご苦労様です。 -- 2008-03-20 (木) 19:52:24
  • 完走お疲れさまです あの弱小国をここまで成長させるのは、驚きです 凄いの一言ですね ↑↑似たような趣旨のAARでも、書き手が違えば、違った側面がみれるので、良いと思いますよ -- neskey 2008-03-21 (金) 01:17:10
  • あまり覇気の無いAARでごめんなさいね。みなさん感想コメントありがとう。交易AARはプレイ中は楽しいけど書くと地味だから、逆にいえば書き手の工夫さえあればまた楽しいものができると思いますよ。期待してます>メクレンさん -- 兄貴 2008-03-21 (金) 18:27:29
  • ヨハネはきっついよねー…EU2でもやったことあるけど本当にダメダメだったわ -- 2008-04-04 (金) 16:20:43
  • 兄貴またAAR書いてくれage -- 2010-11-09 (火) 19:01:17
  • 俺には無理だw素直にスゴいです! -- 2010-11-10 (水) 20:48:50
  • 塩野七生のロードス島攻防記を読んだばっかりです!! 嬉しや~ -- 2010-11-12 (金) 23:06:06

なんという財政状況、間違いなくこの国は最貧国

状況確認をしてみよう。
GC開始時、所有プロヴィンスはロードス島ひとつのみ。
しかし周囲の東地中海、バルカン半島には弱小国家が乱立しており、言わばキリトリ放題。
スーパーパワー・オスマン帝国が重くのしかかっているが、同じくスーパーパワーであるオーストリア・ヴェネチアとの紛争中にこっそりプロヴィンスを掠めることも可能だ。
文化はもちろんギリシャを持っているが、主要文化は実はマルタなのである。ここらへん史実を敷衍しており、潜在能力の高さを伺わせる。
イスラム圏の一大交易地であるアレクサンドリアに初期状態で商人を一人配置しており、今後かなりの交易収入も見込める。
政治体制は珍しいtheocracy。これはなんと!改宗率+20%という脅威のボーナスを誇る体制である。
安定度回復の専門家を多く持ち、安定度を気にせずガシガシ拡張ができる。
そして技術グループは東欧。確かにラテンには多少負けるものの、技術面ではイスラムに無類の強さを発揮するだろう。
以上を勘案すると、騎士団の未来は明るい!なんで今まで騎士団AARが書かれなかったか不思議なくらいだ!

…えー、ごめんなさい。冷静になって実態を把握してみます。
確かに周囲に弱小国は多いんだけども、実際はほとんどちょっかい出せない。たいていハンガリーやオーストリア、ヴェネチアと同盟組んでますな。ビザンツ復興AARのような速攻は有効策だけど、対象が限られる。
しかも反乱が異常に強いので、序盤から多数の直轄地を保有できない。手持ち兵力と相談しながら少しずつ拡張するしかない。
んで、何度もテストプレイしたんだが、結論はオスマン死ね。オーストリアも死ね。いや死ななくていいからもうちょっとだけ手加減して下さい、じゃないとこっちがマジ死ぬるんで…
外交も打つ手無し。たまにキプロスかナクソスが同盟打診してくるぐらい。何の抑止力にもならない。
マルタ文化は何の役にも立ちません、マルタ島はアラゴンが確実に押さえてるので。
アレクサンドリアの商人?んなもん維持できませんって。商人一人の派遣費用>>(コンスタンティノープルの防壁)>>年収というかんじ。
theocracyは非常なハンデ。なぜといって、婚姻ができない。これは相当のハンデですぞ。そして改宗なんぞ序盤中盤はほとんど無い。もちろん、中盤以降政治体制を変更することも可能だけど、やっぱり騎士団たるもの封建王政なんぞに誘惑されてはイケマセン。
専門家はとうぶん空席。だってお給料払えないもの。まぁ小国なので安定度回復は確かに早いですけれど。
んで東欧。辛い。とても辛い。確かに中盤以降、技術ではオスマンには勝てるが、オーストリアとは完膚無きまでの差がつく。CoT独占しまくっても2世代差は確実。リトアニアと技術で互角になってもあの恐怖のマンパワーに勝てるものではない。政府技術の専門家が出ないのでラテン化は実質不可能。
以上を勘案すると、騎士団の未来は、あぁ涙が…なんで今まで騎士団AARが書かれなかったかよくわかる。

ss1.png
ていうかマルタ島にひきこもりたい。

確かに最貧前線

月収入は0.4ダカット。書き間違いじゃない、本当に0.4Dなんだ。当初はこれに加えてアレクサンドリアの商人が0.1ダカット稼いでいるが、数ヶ月で消滅する。
投資スライダーを調整しようとすると、なんだか動きがカクカクする。あれなんだこの不具合?と最初思ったが、不具合じゃないのだ。0.4を割り振るだけだから、0.1刻みなのでスムーズにスライドしないのだ。
年頭収入は1.0ダカット。書き間違いじゃ(ry
安定度で多少増減するものの、歩兵1000、輸送船1で実は収支トントンである。教皇が過去の十字軍遠征に責任を感じて現金をプレゼントするイベントとか、もちろんそんなものは無い。

隠してもしょうがないのでここであらかじめお断りしておくが、このAARはセーブ&ロードを多用している。といっても何か悪いイベントがあればすぐリセットというわけでなく、どんなアクシデントも耐えるだけ耐える。それでもどうにもならず全てが破綻したら、上手くいったところで記録しておいた時点へ巻き戻すというやり方をした。小国なんですよ、本当に貧乏なんですよ、こらえてつかぁさい…

さて初期行動だが、大きく分けて二つのパターンがある。一つは積極策。これはビザンツ復興AARを参考にさせていただいた。つまり他の弱小国に奇襲して賠償金50ダカット+属国化を飲ませて回るやり方。
もう一つは、じっと耐えに耐え、少しずつ国庫にお金を貯めながら侵略の機会をうかがうやり方。
どちらも一応うまくいくのだが、読んでいて面白いのはもちろん前者のほうであって、とりあえず戦争主体でやってみることにする。
しかし何度やりなおしても、定石というものが見つけられない。弱小国の動きは多様で、それに合わせて機敏に奇襲をかけ続けることになる。こういうのを機会主義者といいます。また単に攻めるだけではなく、耐えるべき時は耐えることも必要。実際は二つのパターンを組み合わせて行動することになった。

ほとんど海賊

というか、じっさい騎士団はムスリム相手に海賊行為をしていたそうです。だからいまさらカトリックや正教相手にも海賊まがいのことをしても大丈夫(←?)。
歩兵1000、輸送船1を追加発注。もちろんこの時点で予算編成は赤字なのだが、十字軍遠征を再興するという騎士団の大義(←?)による賠償金50ダカットが見込まれるので、台所事情はなんとかなると踏んでいる。つまり賭である。
目標はバルカン沿岸及び東地中海の島国で、えーと、とにかく弱そうな国!同盟結んでなくて歩兵が1000しかいないところ!
…ああ機会主義者ここに極まれり。
指揮官はもちろん騎士団総長で、以降、当主が全軍を率いるのが騎士団の伝統となる。船出するとロードス島は文字通りからっぽで、国民皆兵をどこよりも早く実現しているのである。

まずはラグッサを急襲、占領して50ダカット吐き出させる。
「やめろーッ!これが貴行らローディスのやり方なのかーッ!」懐かしいネタですな。
次はナクソスだ。オーストリアと同盟してるがなんとかなるに違いな…いきなり本土ロードス島に上陸される始末。しかしナクソスに50ダカット献上させ、オーストリアとは白紙講和で結果オーライ。
返す刀でDeus Vultを取得しモレアへ。こちらはギリシャ文化圏なのでそのまま併合。
ナクソスもギリシャ文化圏なのだが、島で反乱起こされると現在の兵力では対処のしようが無いということで属国化にとどめた。

ss2.png
プロヴィンス数が2倍になった!

キプロスへも攻め込もうと思ったが、アラゴンと同盟しておりこれは手強いと考えあきらめる。
ここまでで1458年。騎士団飛躍の序盤戦であった(道義的にどうかは別として)。

…が、騎士団の命運はここで尽きるのである。何度やりなおしてもオスマンに宣戦布告され、ロードス島とモレアを占領され、モレア割譲+有り金全部賠償金の強制和平を結ばされる。これはオスマン様にスイッチが入ったと判断、続行はあきらめてリセットする。
わずか5年の短い命でした。

二回目の挑戦

今度は順番を変えて、モレア併合→アルバニア属国化→モンテネグロ属国化→ナクソス属国化としてみる。
その間、オスマン様はオーストリアと最初の戦争をしていた。上手く矛先が他に向いたというところか。

1463年
オスマンがアラゴン・カスティーリャ・ナヴァラのイベリア勢と戦争している間に、休戦明けのアテネを併合。同盟主でついてきたヴェネチアには25ダカット払って講和。ここまでで1464年である。

1467年
オーストリア・ハンガリー連合がオスマンと戦争を開始。騎士団に全軍出撃待機命令が出る。結局3年で白紙講和となったが、騎士団は遠いヨーロッパの味方に思いを馳せ、再び勇気百倍といき込んだ。マジで何もしてないオスマンと2000の歩兵で対峙し続けるのは辛いのだ。

騎士団の本領は火事場泥棒にあり

1476年
アテネで発生した反乱に手を焼いているうちにオーストリアがバルカン半島を南下。ここはやるしかないと腹を決め、ついにオスマンにこちらから宣戦布告。機会主義者にも意地があるのである。

1478年
オーストリアに守られる形で空白となったジャニナを占領、割譲させる。…やったぞ、オスマンに勝ったぞ!100%火事場泥棒なのだが、勝ちは勝ちである。

1503年
3連続で発生した反乱軍12000を30年かけて殲滅。国共内戦時の蒋介石の気持ちが分かったような気がする。

1505年
モレアがめでたくコア化。年頭収入が跳ね上がる。

1507年
ナクソスを外交併合。

1515年
バルカン半島をオーストリアに、アナトリアをペルシアに取られ、オスマンはほぼ滅亡。ううむ、これでは動きようがない…

1534年
盤石と思われたオーストリア・ハンガリー連合だが、破綻の時がやってきた。フランス・ブルゴーニュとの全面戦争に突入し、これに呼応してリトアニア・ポーランド、ペルシアがそれぞれ宣戦布告。例によって火事場泥棒戦略を発揮、サロニカを強奪する。
まさかオーストリアから領土を得る時が来るとは、思いもよらなかった。

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オスマンはマムルークに吸収されました

1547年
劣勢にあったオーストリアだが、ハンガリーを継承。これにより東欧の雄、ポーランドの領土が南北に大きく分断される形となった。ポーランドとオーストリアは近いうちに衝突するだろう。これにフランス、リトアニア、ペルシアがどう干渉するか、情勢は読めない状態に。
騎士団としてはペルシアがバルカン半島まで出張してくれるとやりやすいのだが…

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騎士団の明日はどっちだ?

1568年
望みとは逆に、アナトリア半島一帯を領有していたペルシアがフランスとオーストリアにより分割される。
やっぱりフランスとオーストリアが戦ってくれたらそれでいいや…と実現根拠の薄い願望にロードス島の未来を託す。

1578年
今度は望み通りフランス対オーストリア戦争が勃発。しかしオーストリア優勢のまま推移し、結局は白紙講和に。ポーランドが動かなかったのが決定打とならなかった理由か。ポーランドが南下するためには、フランスにがんばってもらわないといけない。
そして今回フランスが押し切れなかったのはブルゴーニュがすぐ戦線離脱したからである。
次はもっと事態が動くことを騎士団みんなでイエス様にお祈りすることにする。
「主よ、聖地奪還の大義のため、オーストリアがフルボッコになりますように。騎士団がもうちょっとギリシャで領土を得られますように」

1583年
どことも同盟を結んでおらず、無防備だったコルシカ島を急襲、併合。やることがとことん海賊である。

1590年
再びフランス対オーストリア戦争。隙をついてエディルネを掠め取る。これでオーストリアを、ヨーロッパとアジアで分断した。
陸軍8000の活躍もさることながら、エーゲ海の制海権を確保し封鎖させなかった海軍の輸送艦6隻も功績が大きい。

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「ギリシャ」っぽくなってきました

戦争は結局フランスとポーランドがそれぞれ2,3のプロヴィンスを奪って終わった。この割譲により、東西に長いオーストリアの国土はいくつもの部分に分断されることに。オーストリアにとっては取られた数以上の痛手と思われる。

1608年
なぜかフランスがポーランド・リトアニア連合相手に大戦争を始めた。古文書を偽造してから、がら空きのリトアニア領アルバニアをいただく。機会主義者の面目躍如である。

1617年
再びフランス対ポーランド・リトアニア。欧州全体を戦場とした大戦争。結局マンパワーがものを言ったのか、フランスがスカンディナヴィアのプロヴィンスをいくつか割譲して講和。
現金収入がまずまず確保できてきたので、交易を開始。効果は絶大で、すぐに最上位3CoTを独占、月収入を4.5倍に引き上げてしまった。

1657年
またフランス対ポーランド・リトアニア。今度はフランス不利と見て、アナトリア西岸のフランス領を奪う。
講和で粘りに粘って1プロヴィンスをゲット。

1663年
またフランス対ポーランド・リトアニア。次はどっちを攻めるのか?リトアニア領ビシニアである。
戦争のたびにあっちについたりこっちについたり、騎士団の評判はさぞや悪かろう。

各国の幸運と偶然

1668年
信じられないほどラッキーな事件が発生した。
フランスが領有するアナトリア西部の4プロヴィンスが反乱軍に占領され、そこにオスマンが復活したのだ。当然軍隊は無し、同盟もない。舌なめずりをして宣戦布告、首都以外の3プロヴィンスを割譲させる。おいしい、おいしすぎる!

1671年
ポーランドがリトアニアを継承。この絶望を表現する言葉が見つからない。

1706年
ポーランドのオーストリア攻略に乗じてトラキアを奪取。しかし誰かオーストリアを止めないと、もうブレーキが利かないぞ。

1719年

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うええええ??

これは…どう解釈したものか。騎士団総長が教皇に選出されたのだろうか。
これって4亀のチュートン騎士団と同じだよねぇ。うーむ、まぁ騎士団も教皇領も似たようなものといえば似たようなものだが…かくして新生教皇領の生存の戦いが始まった。

さて教皇領になってもやることは変わらない、やはり火事場泥棒、強い側についての海賊稼業である。巨大ポーランドがまたフランスをいじめていたので、その尻馬に乗って黒海対岸のトレビゾンドを強奪。とことんやることがえげつない。いやこれもカトリックの大義のためと思えば心も痛まないものである。ん?カトリックの大義って具体的に何?

1725年
オーストリアのマムルーク叩きに勝手に参加、アレクサンドリアを奪取。CKでの聖地を得て教皇もご満悦である。
しかし割譲直後に17000の反乱が連続で起きてビビる。反乱軍34000は何かの冗談としか思えない。

1734年
どことも同盟を結んでいなかったキプロス島を併合。

1735年
やっと外交8の教皇が選出された。
これまで3→3→3→4→4→3と百年の暗愚時代だったのだ。
さっそく明との関係を改善し、CoTを開かせる。取引規模はダントツの2700ダカットである。

1746年
孤立無援で独立していたフランス南岸のトゥールーズを併合。弱いものは徹底的に叩け。

1750年
黒海沿岸のフランス領で反乱が起き、グルジアが独立。治安維持を名目として教皇領陸軍が派遣され、以後同地域の管轄をグルジア政府より委任される。つまり、「いただきまぁす♪」

1770年
オーストリアと初の正面衝突。これまでのコソドロとは違う。6個師団を投入して4個師団を殲滅されるが、ギリギリ2プロヴィンスを割譲させる。

以降半世紀、欧州は完全に平和であった。騎士団…じゃなかった、教皇領は東西をオーストリアに挟まれ身動きできなかった。だって、見えるだけで11万の歩兵がいるんだもん…質も向こうが1世代上だしな。
その間、教皇領は世界中に商人を派遣。おそらく世界で最も豊かな国であっただろう。
終わってみると、マンパワーの少なさが最後まで響いた。この倍あればオーストリアと全面戦争を繰り返せたのだが。聖地奪還はならなかったが、かつての憎きオスマン領を確保し、次の時代へカトリックの大義を引き継がせることができたといえよう。

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ほとんどトルコです。本当にありがとうございました。

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Last-modified: 2010-11-12 (金) 23:06:07