[[プレイレポ/ポンテッリ家の人々]]

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 コジモ3世の肖像

*コジモ3世の治世 [#i3ae481f]

1600年にトスカナ公爵となったのはコジモ3世だった。
彼はトスカナの僭主から「大公」となったポンテッリ家最初の人物だった。

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1611年、コジモ3世は念願だった統治技術27に到達した。

赤線でマークしてあるところから分かるように、統治技術27で国体「絶対君主制」が採用できる。

絶対君主制は他の政体と比較して、スライダー移動に必要な期間が短く、行政官と軍の規律にボーナスがある。
さらにスライダーの中央集権の制限がなくなり、もっと良いことに、開戦理由として「帝国主義」が選択できる。
最後の開戦理由「帝国主義」が、16世紀からポンテッリ家ががむしゃらに統治技術27を目指した理由である。
この開戦理由「帝国主義」が、16世紀からポンテッリ家ががむしゃらに統治技術27を目指した理由である。
この開戦理由があれば、ポンテッリ家は安定度および正統性の低下なく他国と戦争を行うことができる。
また、この開戦理由によって戦争した場合、神聖ローマ帝国は介入することができない。

つまり、イタリア諸国に自由に宣戦布告できるようになるのである。

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 コジモ3世は「絶対君主制」を採用する。

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 コジモ3世は「帝国主義」によって教皇領に宣戦する。

コジモ3世が大公を名乗ったあとで最初に行ったのは、ローマ進軍だった。
イタリアの諸都市同盟はどちらかと言えばギベリン(皇帝派)で、常日頃からローマ教皇とは仲が悪かった。
イタリアの諸都市同盟は、中世の匂いがする教皇のくびきから早く解放されたがっていた。

とくに、17世紀前半の教皇の後ろ盾になっていたのはスペイン帝国であり、彼らは南イタリアとミラノを支配してイタリア諸都市同盟と敵対していた。
トスカナ大公国はイタリア諸都市同盟の代表として、教皇とスペインを沈黙させる必要があった。
彼らは神聖ローマ皇帝の暗黙の了解のもと、ローマ進軍を開始した。

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 ローマ、燃ゆ

トスカナ軍はローマ近郊で教皇軍を破り、ローマ入城を果たす。

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