[[王道の道]]
[[王道の道/皇帝として]]
*マクシミリアン1世ヨーゼフ フォン・ツヴァイブリュッケン [#m706de59]
**人的同君連合 [#we7cbca3]
 1470年12月24日にフェルディナンド・マリア帝が亡くなった。
 齢60歳を越し、天寿といっても差し障りはないと思われるが後継者が問題であった。
 フェルディナンド・マリア帝は、娘の子を後継者として指名していたが、サリカ法では相続権はない。
 それに、女性にも相続権があるならば、他にも相続権を主張する者が出てくるわけであり、年末であり年初に宣言すればよいと安穏に構えていたマクシミリアン1世は、フェルディナンド・マリア帝の従弟でオーストリア伯カール1世 ゴンツァーガ((パプスブルグ断絶しているよ(笑)))に出し抜かれた。
 しかも、次期神聖ローマ皇帝も、諸侯の身分ではないため、ブラウンシュバイクのウィルヘルム1世に奪われてしまった。
 ここに、ヴィッテルスバッハは断絶したのである。仮に、マクシミリアン1世が即位したとしても、ツヴァイブリュッケンである。
 それでも、自分は、もともと帝位につく気はなかったと、宣言してボヘミアの修道院に入ってしまった。
 オーストリアとボヘミアは、もともとお互いに対立している間柄であるし、修道院は治外法権の場所である。バイエルン領内の修道院であれば、地位に執着しているとみなされるし、裏取引などで、引き渡される可能性もある。逃げ込む選択肢としてボヘミアの修道院は、最も適当だろうと思われる。
 凡庸である彼は、フェルディナンド・マリア帝の側近たちに陰謀を任せた。
**帝国の改革 [#e4c73554]
 神聖ローマ帝国皇帝に就任したウィルヘルム1世は、就任と同時に帝国の改革に着手しようとした。
 しかし、この動きは、と言う北ドイツやオランダの諸侯が賛成したものの大国(プロヴァンス、ボヘミア、オーストリア、バイエルン)や商業国家(ジェノバ、ホラント、ハンザ)が反対したため改革はできなかった。
 保護を求める小諸侯と、勢力の拡大を求める大国や商業国家の対立が見て取れる。
 この改革に失敗した後、ウィルヘルム1世は、帝国の統治に興味をなくし、リガやシエナといった、これまでの皇帝が必死で守ってきた領土を帝国外の国家に渡してしまうことになる。
 帝国の改革と言うのは、難しく、壊してしまったほうが楽なのかもしれない。

|賛成|ホルシュタイン、リガ、サルジニア・ピエモンテ、ブレーメン、ハンブルク、ケルン、マグデブルク、マイセン、メクレンブルク、ミュンスター、オルデンブルク、ザルツブルク、ヴュルツブルク、ヴュルテンベルク、アクイレイア、マントヴァ、フリースラント|
|反対|アルザス、ブルゴーニュ、コルシカ、プロヴァンス、ボヘミア、オーストリア、ヘッセン、マインツ、スイス、チューリンゲン、ジェノバ、ミラノ、シエナ、ブラバント、ホラント、ハンザ|
**即位 [#a7c3b43f]
カール1世 ゴンツァーガは、バイエルンだけでなくチューリンゲンも同君連合に従えていた。そこで、チューリンゲンとオーストリアの継嗣問題に目をつけ、僭称者となりそうな者と連携した。
 1471年11月、3君連合となって1年経たないうちにカール1世 ゴンツァーガが崩御した。いや、正確には殺されたのである。崩御の知らせよりも早く、チューリンゲンでヨハン1世 フォン・ヴェッティン、オーストリアでヨハン 1世 ゴンツァーガ、バイエルンでマクシミリアン1世ヨーゼフ フォン・ツヴァイブリュッケンが即位を宣言した。
 3人がそろって、暗殺したと宣言するのだから犯人が誰であるかは特定できないが暗殺は、事実だろう。

1471年11月25日 マクシミリアン1世ヨーゼフ フォン・ツヴァイブリュッケンが我が国の新たな元首に。
1471年11月25日 オーストリアとの人的同君連合が解消。
1471年11月25日 国王ヨハン1世 フォン・ヴェッティンがチューリンゲンにて即位。
1471年11月25日 国王ヨハン 1世 ゴンツァーガがオーストリアにて即位。

**治世 [#a4b852c0]
 マクシミリアン1世は、自身が凡庸であることは理解していた。
 そのため、10年間戦争を行わないと宣言した。これまで、イタリアからバルト海まで動員されていたバイエルン領民は、この宣言に狂喜し、実際に実行されたことに感謝した。
 その評判は、周辺国にも広がり1481年に神聖ローマ帝国皇帝ウィルヘルム1世が崩御すると、次期皇帝に推挙された。
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**皇帝として [#z0164f06]
#ref(軍制改革.jpg,right,around,軍制改革);  
 皇帝に即位して、ドイツ各国を回って自国の軍隊が貧弱なことに気がついた。
 1481年に、中世ラテン歩兵部隊をすべて解散し、軍隊を更新した。
 軍隊の改変が終了するまで2-3年かかり、その間は戦争がないことを祈るだけだった。

(気がついたときに、作者の方がびっくりしました。中核州のない州で軍隊を編成するのは問題ですね・・・・)
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**永遠のイタリア問題 [#ed856ea9]
#ref(教皇和平.jpg,right,around,教皇和平);
 神聖ローマ皇帝にとって、イタリア問題は常に存在する問題なのであろう。
 ローマ教皇は、帝国運営に無関心だったウィルヘルム1世の時代に勢力を回復し、1481年に帝国領内のシエナに侵攻した。今回の教皇軍は電撃作戦を行ったため、ミュンヘンの部隊がシエナに到着するまでにシエナは消滅していた。
 ローマのすぐ真北にあるシエナは、教皇側にとっては、ローマへの防波堤にしたいのである。しかし、皇帝側は、シエナは、帝国の一員であり独立国であると主張したため、両者は、シエナという国家が消滅した後も戦争を続けた。
 1483年に皇帝軍がローマに入場し、シエナの独立を認めさせた。
 
 先々代のフェルディナンド・マリア帝は、ドイツ人の王国といったが、まだ、ローマ帝国なのかもしれない・・・・

**バルト海 [#j2b0cd53]
#ref(デンマーク和平.jpg,right,around,スレースヴィ); 
 神聖ローマ帝国の2番目の外敵と言えばデンマークだろう。カルマル同盟の盟主としてバルト海に覇権を握っていたときに比べて、孤立したとはいえ、北ドイツに対する並々ならぬ野望がある。
 1490年に、デンマークはホルシュタインに侵攻した。フェルディナンド・マリア帝の時代であれば、デンマークを撃退するところで満足していたが、マクシミリアン1世は違った。
 デンマークの部隊は蹴散らすが、ホルシュタインにスレースヴィを占領させ、デンマークとホルシュタインの和平が成り立つまで、軍を駐留させたのである。
 1491年にデンマークがホルシュタインにスレースヴィを割譲する和平案が成立をしたことに安堵したマクシミリアン1世は、スレースヴィの中核州の要求を取り下げることを条件にデンマークと和平した。
 もっとも、この戦争の後で、北ドイツ諸侯がスレースヴィの領有をめぐって争いをはじめたことは言うまでもない。
 このような浅ましい帝国諸侯を見てマクシミリアン1世は帝国に失望したと言われている。
**国内改革 [#o38b4cc9]
#ref(教会税.jpg,right,around,教会税);
 神聖ローマ帝国の体制に失望したマクシミリアン1世は、国内の改革を進めていった
 1492年6月に教会税を導入した。いつも帝国に侵入する教皇に施しなどいらぬと言う姿勢であった。
 教皇領では、軍事費と自分達の豪勢な生活費で財政難になっていた。
 バイエルン領内からの収入が途絶えたことにより、財政収支が大幅な赤字になることを危惧した教皇は免罪符の販売を行うことにした。
 これが、後の宗教改革につながるのである。
**イタリア戦役 [#t96445f8]
#ref(ああサルジニア.jpg,right,around,地図);
 1400年代に入り、ローマ教皇が直接軍隊を持ち領土の拡張を行うようになっていた。
 エルンスト1世の時代に教皇と皇帝が争った戦争を第1次イタリア戦役(1414年から1418年)と呼ぶ。
 この戦争で大敗したローマ教皇領はローマのみにまで縮小したが、1450年以降に再度拡張し、1481年のシエナ侵攻以降を第2次イタリア戦役と呼ぶ。
 1489年にミラノ(なぜかフィレンツェ1州の国家なんだよな・・・)に侵攻した教皇軍は撃破されたが、イタリア領内にあるサルジニア・ピエモンテと同盟した教皇領は、1494年にシエナに再度侵攻した。
#ref(ああピエモンテ.jpg,left,around,降伏);
 教皇軍を撃破し1495年に和平した後も、シエナを征服したサルジニア・ピエモンテと戦争を続けた。
 1497年にサルジニア・ピエモンテをサボイとシエナに分割し、サルジニア・ピエモンテを滅亡させた。親教皇派の国家は許さないのである。
 なお、同年教皇は、ナポリを征服している。なかなかしたたかな相手である。
**晩年 [#z2cc5fe9]
#ref(ご乱心.jpg,right,around,ご乱心);
 神聖ローマ内の諸侯の対立やイタリア問題などがマクシミリアン1世の精神を苦しめたことは間違いないと思われる。晩年の奇行は、これまで、周囲に任せていた政治姿勢と大きく異なる。
 イタリア戦役が収束した1497年には、免罪符発行に講義したプロテスタントが起こるなど、政治が大きく変わろうとしていた。翌年にマクシミリアン1世は亡くなるが、後継者は幼少であり、宗教改革にどのように立ち向かうのであろうか・・・・

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